『目であるく、かたちをきく、さわってみる。』 マーシャ・ブラウン(文と写真)

 

目であるく、かたちをきく、さわってみる。

目であるく、かたちをきく、さわってみる。

 

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「目は みえる
 うまれたときから
 でも みることは――
 みえることとは ちがう


 みること
 それは 目であるくこと
 あたらしいせかいへと」


これは、友人からもらった年賀状に書かれていた言葉で、
マーシャ・ブラウンの『目であるく、かたちをきく、さわってみる。』(写真集であり、詩集?)の一節だ。
「目であるく」という言葉の意味を知りたくて、それが、この本に出会うきっかけでした。


縦長の小さな本の白いぺージには、詩とともに、まるで小さな窓が開くように、小さな写真が並ぶ。
写真は、私たちの身の回りにあるささやかな自然から切り取った一部分なのだけれど、ちょっと見ただけでは何の写真なのかわからない。
本は、わからないまま見るように、感じるように、と促しているようだ。
私は、写真をみながら、よいしょ、と窓枠をまたいで、写真のなかに入っていく。
奥へ奥へと。
実際には足を運ぶことのできない場所に踏み込み、実際に立つことのできない場所の感じを感じている。
添えられた短い詩句を味わいながら。
足の裏や、手の指が触れるものの質感、温度。
明るさ、暗さ、匂いも感じる。
時には、昆虫よりももっと小さくなって。
「みることは また
 だれかの つばさを かりて
 とぶこと――

 花の かおに おちる
 あめの リズムを
 かんじること――」


形あるものは、なぜ、その形をしているのだろう。
写真の窓の中に見えるのは、沢山の形。
耳をすませば、物語を聞かせてくれる。
ときどきよく似ているものが見える。「ふたごのかたち」と詩はうたう。
でも、よく見れば、それらは、遠く離れた別の場所に生きるもの、大きさも質感も違うもの。それなのに、なぜか、こんなによく似ている不思議。
同じ形のものがリズミカルに並んでいる場所も窓の中にみえる。
並んでいる形は、他者の目にとまりやすい(とめてもらいたい?)のだという。
「ぼくらは ひとつずつ ちがっている
 だからこそ いっしょだと
 かっこいいのさ。」 


ふと、レイチェル・カーソンセンス・オブ・ワンダーの一節を思い出す。
「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけ出すことができると信じます」


この本に描かれているのは、ひとつの「センス・オブ・ワンダー」の解き放ち方ではないかな。
身体も心もふっと軽くなるような気がする。
自分のまわりがにわかに明るくなる。賑やかになる。