『単純な生活』 阿部昭

 

単純な生活 (P+D BOOKS)

単純な生活 (P+D BOOKS)

  • 作者:阿部 昭
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2018/01/09
  • メディア: 単行本
 

 

婦人之友』昭和五十五年一月から五十七年六月号まで連載したエッセイをまとめたものである。


人を羨んだり、明日のことを思い悩んだりせず、「単純」に生活できたらいい。
著者、阿部昭さんは、愛するルナールの『博物誌』の樹木の家庭や、バッハの妻マグダレーナの手記(?)などから、静かで単純な生活を思い描くが、現実は、はるかに遠い。人の暮らしは、複雑、というより、煩雑だ。
「あちあらこちらをめまぐるしく動き回って、仕合せでなく、死ぬ時も死んだ後も誰かの手を借りなくてはならない。」


三匹の飼い猫のこと。
息子たちの受験について。
呑み友だちのこと。
海を渡ってとどく手紙のこと。
自分の病気のこと。妻の病気(?)のこと。
母の死、父の思い出……
ところどころ、思わず吹き出すようなユーモアをまじえて書き出す、単純には暮らせない阿部さんの生活。


ちょっといいなあ、と思うのは、ドイツに旅する友人に、みやげとして、バルト海の小石三個を拾ってきてほしい、とねだる顛末。
特産品でも民芸品でもなく、ただの石ころ。
でも、その友は、この土産のために、予定のなかった海辺へわざわざでかけていく。
やってきた石は、バルト海の音や匂いを運んできてくれただろうか。
石に手描きのスケッチが添えてあった、というのも素敵だった。


40年前の暮らし。
今と変わらない、と思うこともあれば、ずいぶん変わったなあ、と思うこともある。
動物の飼い方も変わったことだ、と思う。それは、人間の暮らし(社会)が、びっくりするほど変わってしまったことの証でもある、と思うと、ちょっと寂しい。


ツメクサやタンポポ、蓬に覆われていた土手が、コンクリートに覆われ、いつのまにか川がすっかり見えなくなってしまったことを阿部さんは嘆く。
阿部さんは、「昔の湘南はいまや私の文章の中にしかないのです」と言う。
「われわれは誰しもみな、なつかしい子供時代のふるさとの景色を、--歳月とともに消えてしまった過去の風景を、--記憶の中に畳み込んでいる」
私も思いだす。子どもの頃に見ていた、今はなくなってしまった風景のこと。


以前読んだ阿部昭の短編集『天使が見たもの』と、この本『単純な生活』では、たぶん同じ出来事について書いているのではないか、と思う部分がちらほらとみられる。
だけど、印象がずいぶん違う。
『天使が…』の端正な文章、語り手のクールさなどを思い浮かべると、『単純な生活』はもっとずっと、とりとめなく砕けている。語り手はクールではない。むしろ、偏屈でわがままなおじさんである。歯に衣着せず思ったことを思ったとおりに語る。家族、近所、親戚、友人知人の話など、「ちょっと…そんなこと言っちゃっていいの」と袖をひきたくなるくらいのざっくばらんさだ。
著者と、読んでいる私との距離が縮まり、並んで話を聞いているような感じ。
私小説とエッセイの違いかな。


阿部さんの日々は、単純な生活の夢をポケットにつっこんで、煩雑な日々を乗り切っているような感じだ。
単純な生活はなかなかできそうにないけれど、ポケットの中ににそれを持っていると知っていたら、日々を朗らかに過ごすための小さなお守りになりそうだ。