『戦下の淡き光』 マイケル・オンダーチェ/田栗美奈子(訳)

 

戦下の淡き光

戦下の淡き光

 

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「一九四五年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らを委ねて姿を消した」という始まりの一文から、物語に引きこまれる。
両親が一年間、仕事のためイギリスを離れなければならなくなったため、16歳の姉とともに14歳の「僕」ナサニエルは、後見人(両親の友人)に委ねられたのだ。


まず、父が出立する。その一か月後に、大きなトランクとともに母が旅発つ。
ところが、その何日か後に、中身が入ったままの母のトランクが家の地下室にあるのを、姉弟は発見する。母は父を追ってシンガポールへ飛んだのではなかったか。母はどこに消えてしまったのだろう。


姉弟は、後見人を「蛾」と呼ぶ。
「蛾」は不思議な人物だった。たくさんの秘密をもっているし、もしかしたら、本当に「犯罪」が彼のまわりにあったのかもしれない。
それでも、兄弟の安全は守られていた。信頼できる後見人だったのだ。(安全ではあったし、姉弟の思いを常に汲もうとしてくれたが、それは法にふれるかどうかとか、道義的・倫理的にどうか、という方向では必ずしもなかった。)
極めて独特の一年間を姉弟は過ごした。そして、この一年間は、その後の姉弟の人生の色をすっかり変えてしまう。


第一部では、「テーブル」のまわりにたくさんの人々が現れるが、重要な人々は、徒名で呼ばれる。初恋の人までも。
そのせいもあると思うが、第一部は、まるで霧の中か夜闇のなかかでものを見るように、何もかもがほんやりとした印象なのだ。
たくさんの謎については、なぜそんなに淡白でいられるのか、といぶかるほどに、謎は謎のまま(とりあえず)放置される。
薄闇のなかから幻想的に、夢か現かもわからないような姿で立ち現れるいくつもの出来事は、不思議な美しさだ。
真夜中の無人の家を走り回る犬たちと、寛いだ裸の少年と少女。
嘘で作り上げられた父と息子が、本名も知らない恋人とともに、漁船で川を渡るひと時の平穏。水に飛び込む少女のリボンが陽に輝くさま。
(本当は非常に危険な場面であるはずだが)正体不明の追っ手の鼻先から、するりと身をかわして飛び去る少年の姿はまるで、音もなく羽ばたく美しい小さな鳥のよう。夜の鳥。
……どれも、ため息をつくような美しい光景だ。
一年間の暮らしは、一言でいえば、冒険だった。危ういこともたくさんした。けれども、何もかもが、そっくりそのまま「閉じられた」ままなのだ。
それが第一部。ここから、出ることはできないし、何かに発展することはない。


第二部。
「僕」は大人になり、少年時代の一年間の事を振り返る。両親、とりわけ母の「なぜ」について、調べる。それは、母の人生を掘り起こすことであり、秘密にしておくべきことを表に出そうとすることでもある。
あの一年間、「僕」たちを守り育ててくれた人は何ものだったのか。あのテーブルを囲んでいた人たちは何ものだったのか。
あの冒険は何を意味していたのか。
ひとつひとつが明らかになってくる。
第一部のなかで散らされていた謎めいた言葉や、詩の一節などが、今、息を吹き返す。何気なく読み流してきたあれらはそういうことだったのか、と、感慨にふける。
第一部が夜の世界なら、第二部は明るい昼間だ。


印象的なのは、第二部のなかで語られる1858年のチェスの試合だ。オペラ『ノルマ』が上演されている劇場のボックス席で、音楽好きの指し手が、二人の貴族を相手に素早く渾身の一手を射しながら、次の一手までの間、夢中でオペラを鑑賞し続けたこと。その勝負のためにこの指し手は天才と呼ばれたが、その後は、チェスから離れ、親元で目立たない生涯を終えたという。「でも、一度は絶頂を味わった。すばらしい音楽とともに」
この挿話は、ある人の人生の振り返りに重なるのだが、同時に、「僕」のあの一年間を思い起こさせる。
あの一年間……
宙ぶらりんのまま、二度と再び取り戻すことができない一年間。
嘘ばかりの一年間でもあった。
だけど、そこに、時折きらめいて見えるあれら、これらがある。それは、やはりひとつの、忘れがたい「絶頂」だったと思う。