『惨憺たる光』ペク・スリン/カン・バンファ(訳)

 

惨憺たる光 (Woman's Best 9 韓国女性文学シリーズ6)

惨憺たる光 (Woman's Best 9 韓国女性文学シリーズ6)

  • 作者: ペク・スリン,カン・バンファ
  • 出版社/メーカー: 書肆侃侃房
  • 発売日: 2019/06/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この十篇の物語に登場する人びとは、それぞれ、なんて暗い処に居るのだろう。なんて一人ぼっちなのだろう。


『夏の正午』の、パリで異邦人として生きる青年は、なぜ自分の国で暮らさないのか、ここにいいことなんかないだろうに。寂しいだろうに。
彼は言う。「自分の国で異邦人として生きるほうがよっぽど寂しいよ」
その言葉は、『中国の祖母』での(中国人の)義祖母のつぶやき「ここで寂しけりゃどこへ行っても同じだろうさ」に似ている。


十篇の物語は、乱暴な言い方かもしれないが、どれも、寂しい人が、薄闇のなかを旅する物語、ともいえるかもしれない。
たとえば、『時差』の主人公は、人々に「どうしてこれほどの幸運がこの家族にだけは舞い込むのだろうと、嫉妬の入り混じった疑問」を抱かせるほど輝かしい境遇、経歴をもつ女性なのだ。けれども、彼女の外見が輝かしければ輝かしいほどに、彼女の内に埋もれた、どうすることもできない闇の濃さが際立つ。
『夏の午後』の主人公は「私はその明かりが怖くてぎゅっと目を閉じた。そのころ、闇より怖いのは光だったから」と独白するし、
『途上の友だち』の主人公は「何か一番大切なもの、一番清らかできれいだったものが粉々に砕け散ってしまったような気がしてぎょっと驚いていた」とりかえしのつかない時間を決して忘れない。


だけど、暗い世界の旅を読むことは、気持ちを沈ませたりはしないのだ、と読みながら感じた。
薄闇のなかに、何か安心に近い心地がある。
おためごかしの明るさが何になるか、と、いっそ開き直る清々しさとでも言おうか。
薄闇には、暗さのグラデーションがある。ときには、ほとんど光といっていいくらいの薄明かりのようなものにも出会い、はっとする。美しい、と思う。
わたしは『中国の祖母』が一番好きだ。婚約者の肩越しに見た、あの大きな月より「もっと大きな月を見た事がある」というその思い出が愛おしい。
また、『北西の港』の主人公が感じた「何ものも侵すことのできない瞬間の美しさ」が好きだ。
留めることはできない。ほんの一瞬。これらは、薄闇を旅している人だけが感じることのできる美しさでもあるだろう。


最後の一篇『国境の夜』は、14年間生まれることを拒んで母の胎内で生きてきた胎児が語る物語である。
外は、暗いばかりの世界。待っているのは、辛さばかりの人生かもしれない。
この老成した胎児に、生まれることがめでたい、などとは言えない。希望も言えない。
それでも、そこに出ていこう歩いていこう、とするなら、なんだか……なんだかね、わきあがってくるものがある。
この物語を最後に読めたこと、よかった。