『キオスク』 ローベルト・ゼーターラー/酒寄進一

 

キオスク (はじめて出逢う世界のおはなし オーストリア編)

キオスク (はじめて出逢う世界のおはなし オーストリア編)

 

 

1938年、オーストリアナチスドイツの軍事圧力に屈して力による合邦を許し、以降、ナチ一色に変えられていく。
フランツが、湖の美しい田舎の町から、ウィーンに出てきたのは、その少し前だ。キオスクの見習い店員として働くためだった。


無骨で、正直者のフランツは、この町で働き、学び、恋をする。
この町で暮らしたわずか一年の間に、彼は、怖ろしいほどに多くを体験し、見えなかったものがいろいろとみえるようになってくる。
考えなくてもよかったことを考えずにいられなくなってくる。
けれども、ナチス支配下で、物を考えるということ、普通に善良であること、誠実に生きようとすることは、命までも脅かしかねない。
少年の成長は、不器用で、少しおかしくて、痛くて苦しい。


ウィーンは、通りや広場の旗竿に軒並み鉤十字が翻る町に変わった。
人たちは……
「みんな、妙に目をらんらんと光らせている。なんとなく自信と希望に満ち、生き生きしたまなざし、といっても、どちらかというと間抜けな目つきだった。」
「とにかくみんな目を輝かせ、よく通る大きな声でしゃべる」
新聞は……
「どの新聞もおなじ論調の記事をくりかえし掲載しているだけ」
「なんだか各紙の編集部が毎日、合同会議をひらき、客観的だと見せかけるため、互いの見出しを塩梅し、文章にすこし手を加えただけでまったくおなじ論調の記事をのせているような気がする」


郵便配達人は、無邪気に「ハイリトラー(ハイルヒトラー)」とあいさつする。
彼は、それでも
ユダヤ人を借家や店や官庁、そしてすべての郵便局から追放して歩道にしゃがませ、石畳をみがかせるというのは少々やりすぎだ」
と考えているし、
「郵便の検閲もよくない」
と思っている。
でも結局のところ「まあいい。こっちには関係のないことだ」「定年まであと数年、波風は起こさない方が無難だ」
とも考えている、ごく「普通」の人なのだ。


そして、女たちは我が身を守るために、したたかになる。将校たちの影を利用して。


フランツの雇い主であり、庇護者でもあった店主は、客が何じんであろうと差別することがなかった。
知りたいことをストレートに聞くことができた客(であり、年の離れた友)精神科医フロイトは、ユダヤ人だった。
フランツがウィーンで、強く影響を受け、心許すことのできた二人は二人とも、ナチスにとって当然好ましくない人物で、ゲシュタポに目をつけられていた。
本当に知りたいことも、腹を割って話し合いたいことも、それを口にしたら、まずいことが起こる。
利口な「普通の人」は、口をつぐみ、決してそんなことはしない。
誰もが一人ぼっちでいるしかなかったのだろう。
フランツは考える。「ウィーンでは窓の数だけたくさんの真実がある」


町のあちこちにまきちらされた「死」が、起きあがって行進している。
その足のあいだからは、リズムを乱す、ゆったりとした明るいものが見え隠れしているのだが。


フロイトがフランツに与えた言葉が心に残る。
「わたしたちは答えを見つけるためにこの世に生まれてくるわけではない。疑問を呈するためなのだ。人は闇の中を手探りする。相当の幸運でもないかぎり小さな灯明すら見つからないものだ。そして生きた証を残すには、かなりの勇気か愚かさ、あるいはそのすべてが必要だ」