『あとは切手を、一枚貼るだけ』 小川洋子、堀江敏幸

 

 

往復書簡の形をした創作物語である。(私は、エッセイだと思って手にとったのですが、違いました)


十四通の手紙のうち、奇数通は、彼女から彼に書かれた手紙(小川洋子)で、偶数通は、彼から彼女に書かれた手紙(堀江敏幸)だ。
目が見えない彼と、自ら瞼を閉じた彼女との往復書簡。
二人は嘗て愛し合い、一緒に暮らした。けれども、ある理由があって、離れ離れになってしまった。
離れて久しい二人が、今、静かに言葉を伝え合っている。


ドナルド・エヴァンズの切手から始まって、文学、映画、オペラ、童謡、そして、実験動物、ニュートリノ……話題は幅広く、しかも二人共通する独特の視点をもっている。静けさ、という。閉じている、という。


彼は、最初の片方の視力を失った時、最後に見た昼蛍の光を見えない目の内側にずっと持って居る。
彼女は、閉じたもの、閉じ込められたものに惹かれる。
彼女のなかには、閉じた湖があり、二人は、別々のボートに乗って、その湖の上にいるのだという。


十四通が、ただ一人の人が綴った一続きのようにも思えるくらいに、二人の手紙には、一体感がある。二人だけが知っている言葉で、語り合っているようでもある。
ただ、彼女から彼への手紙は、少しだけ奔放に思える。相手に投げかけた言葉を、相手がどのような形でか、閉じてくれるのを楽しみに待っているようにも思う。


決して二人で生きることはできない、もう二度と同じボートに乗ることはできない、と二人はわかっている。
でも、どうして、二人は一緒にいられないのだろう。
そして、この往復書簡は、本当は、どういうものなのだろう。


三通目の手紙で、彼女は、隠れ家のアンネ・フランクから親友ジャクリーヌへ宛てた手紙の一部を引用している。実際には出されなかった手紙だが、親友から手紙を受け取ったつもりで、アンネは出すあてのない返事をしたためていたのだ。
私は、彼と彼女の手紙を読みながら、何度も、このアンネの手紙を振り返って読み返した。


投瓶通信のことも心に残る。
手紙を詰めて海を漂っていく瓶。
または、ナチスの目を逃れて、自らの手書きの詩集を瓶につめて土に埋めたユダヤ詩人の話。


そして、私は、読みながら思う。
彼は、彼女からの手紙を本当に受け取ったのだろうか。
彼女は、彼の手紙を本当に受け取ったのだろうか……
ここにいるのは、本当に二人なのか。
どちらかが幻なのではないか。
たとえば、彼女……
彼に決して届かない手紙(投函しない手紙)を綴る。けれども、文学の世界ではよくあるように(もしかしたら澄んだ湖を内に秘めた人によくあるように)なにか不思議な方法で相手からの返信を受け取っていたのかもしれない。
たとえば、彼……
居場所も知らない彼女の手紙は、形がなくても、見えない彼の手の上に確かな重さになって乗り、彼だけに可能な方法で読まれていたのではないか。


切手を貼って投函する手紙は、ポストのなかでぽとんと音がする。
14通の手紙には、音がない。 音がなくても、もっと確かな音を、二人だけに聞こえる方法で聴いていたのではないか。
互いにたった一人でいるしかない、離れ離れの一人と一人が、この十四通のなかでは、まちがいなくぴったりと寄り添い合っているのを感じる。
儚そうに見えるが、何よりも崩れにくいものが、ここにあるのを感じる。
視力を失った人と、自ら瞼を閉じた人とは、内側の世界を遥か遠くまで見晴るかしている。