『戦争と児童文学8 核戦争を止めた火喰い男と少年の物語 『火を喰う者たち』~祈りは奇跡を起こすか』/繁内理恵

 

みすず 2019年 08 月号 [雑誌]

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連載:『戦争と児童文学8 核戦争を止めた火喰い男と少年の物語 『火を喰う者たち』~祈りは奇跡を起こすか』(繁内理恵)を読む。


『火を喰う者たち』は、わたしが初めて読んだディヴィッド・アーモンドだ。『戦争と児童文学』第八回で取り上げられているのが『火を喰う者たち』だったので、その前に、と思って、久しぶりに再読した。再読の機会を与えてもらってよかった。
そして、繁内理恵さんの案内で、この物語をさらにまた味わい直すことができて(自分が書いた感想をいろいろと書き直したくなってもいるのだが)本当によかった。


「この世界の最も誰にも顧みられぬ場所に、最も聖なるものが秘められている」
「少年が異界からやってきたものに触れ、闇の世界と現実を往還することで新しい生命力を手に入れる」
デイヴィッド・アーモンドの物語に、頻繁に現れる奇跡、魔法について、繁内さんはこのように書く。


けれども、この物語で、火喰い男マクナルティーが背負うのは、「幻想やファンタジーではなく、戦争だ」
火喰い男マクナルティーとは、いったいどういう存在なのか、ことに、主人公の少年ボビーにとって彼は何者なのか、物語のなかに隠された幾重もの符丁を読み解いていく過程はスリリングだ。


物語後半、学校の(教師たちの)暴力を告発するためにまず、ボビーの友ダニエルが反旗を翻す。その後ボビーもダニエルに同調するようになる。二人きりのレジスタンスである。
が、ここで、ダニエルとボビーが違う原動力をもって動いていることを感じてはいても、私には、それがなんなのか、はっきりとはわからなかった。
「(ボビーの)動機は怒りというよりは祈りだ」との繁内さんの言葉に、はっとする。
(ボビーの家庭にも、幼なじみにも、祈りがあった。)
祈りとは、何なのだろうか。
二人の少年のありようを並べて考えていく。
それは、この連載の第五回(ウェストールの『弟の戦争』)でも触れられた男の言葉・女の言葉にも繋がる。
(ウェストール作品とアーモンド作品に通いあうモチーフについての考察もおもしろい)
「祈りは世界を救うか」 これは、この評論の最後の章の章題である。


最後に、2012年大阪市立中央図書館で行われた講演会での、デイヴィッド・アーモンドの言葉が紹介されている。
「物語は崩壊へ向かう力を押し戻すもの」と。
この物語に「祈り」があるなら、繁内さんの評論にもまた、祈りがある、と感じる。それは、ふわふわと実体のないものではない。