『鳥たちの河口』 野呂邦暢

 

鳥たちの河口 (1973年)

鳥たちの河口 (1973年)

 

 ★

収録された五つの短編の主人公たちは、行きづまった人ばかり。囚われたひとばかり。
主人公は、最後の『棕櫚の葉を風にそよがせよ』以外は、名前がなくて、すべて「その男」なのが、印象的だった。その男は、誰であってもおかしくないのだよ、と言われているみたいに。
背景は揃って陰鬱なイメージだ。


行きづまりの極めつけは、『世界の終わり』で、突然上がったきのこ雲から逃れて、ただひとりきりで、無人島に漂着した男の物語だ。
たった一人、と思っていたら、どうやら、自分のほかにもここに流れ着いた人間がいるらしいのだが……
「おかしなことだ、この島にたった一人でいたときは世界の破滅を信じられなかった。新しい漂着者がやって来た今となって初めて世界の終わりを痛切に感じる」という言葉が心に残った。


『四次元』『ロバート』は、少し距離をおいて見たら、くすっと笑うことができるだろうか。
病気、貧乏神のような同居人。主人公たちが逃れたいと思っているものの正体はほんとうは何者なのだろう。人によって違うのかもしれないけれど、意識すればするほど、かんじがらめになって、逃げ出せなくなってしまうもの。……ある、かな。思い浮かんでくる前に、急ぎ封印したい。


五編の内で、表題作でもある『鳥たちの河口』が一番心に残った。
『鳥たちの河口』
「男はうつむいて歩いた」から始まる物語。男は、会社を辞めて今日で100日。(敵の罠に嵌り、味方にも持て余されて、辞めざるを得なかった)ずっと有明海の干潟で、望遠鏡を覗いている。鳥たちを見ているのだ。
陰鬱な風景だ。
見ていると、おなじみの鳥たちに混じって、ここに、あるいはこの季節に、いるはずのない珍しい鳥たちが現れることに気がつく。
コースをそれる鳥がめだっている。
鳥の方向感覚がおかしくなっている。(方向感覚がおかしくなっているのは、「男」自身と一緒)
風景の中には、得体のしれない禍々しいものが混ざっていて、不気味だ。
この干潟はまもなく埋め立てられる。鳥たちはここには来られなくなるだろう。
魚が捕れなくなってしまった海で、漁師たちは生きていけないのだ。鳥の異変も、漁師たちの暮らしの異変も繋がって居る。
そして、それは、「男」の心象風景に通じている。
晩秋の干潟。方向感覚を失った鳥たち。そして、禍々しい影。男が保護した、重油にまみれて飛べなくなった珍鳥カスピアンターン。
それは、男の外でも内でもある。
ひとかけらも明るいものはない、むしろ鬱鬱とした風景だ。けれども、この風景の中にいる「男」(あるいは「男」のなかの風景)を追っていると、不思議に心が静まり、なにか澄んだものが満ちてくるような気がしてくるのだ。
最後の場面はどういう風に読んだらいいのだろう。
この閉塞する世界で、少しでも明るい兆しであってくれれば、と願っている。