『路地裏の子供たち』 スチュアート・ダイベック/柴田元幸

 

路地裏の子供たち

路地裏の子供たち

 

 

少し湿ったような腐ったような匂いのする薄暗い路地裏を闊歩するのは、移民の子である少年たちや青年たちで、この本は、彼らを主人公にした短編集だ。


ほんとうは吐き気がしそうな汚さやいかがわしさ、血なまぐさい暴力にまみれている彼らの日々は、ときどき、懐かしいような切ないような、振り払ったら取り返しがつかないように思えるほどの、仄暗い輝きがある。ほとんど美しいほどの。
それは、彼らの日々がそのまま、誰にも言えない冒険(振り向いたら二度と元の場所に戻れないような)だからだ。
読んでいるわたし自身、うっかり手放してしまったために永遠にうしなわれてしまったかけがえのないもの(思い出して、いまさら、しまったよなあ、と思うような)に、出会い直すような作品集なのだ。
ヒミツは、ものごとに幻想的なベールをかぶせ、何でもない景色を回り灯篭のような、不思議で艶やかな光景に変えてしまう。


一番はじめの『パラツキーマン』ですっかり虜になってしまう。あらがうことのできない呼び出し、魔法。甘い誘惑が、無防備な子どもたちの日常を罠に変えているようで、はらはらする。ああ、そっちに行ってはいけないよ、でもきっとしまいまで行ってしまわずにはいられないんだろうね……なんと怖ろしくて魅力的な誘惑だろう。


『血のスープ』がわたしは一番好きだ。
死にかけているおばあちゃんが最後に食べたいものは、血のスープだという。あひるの生き血と果物を混ぜてぐつぐつ煮る、そういう料理があるのだそうだ。
兄弟は、ひるみつつ、スープに使うあひるの血をわけてくれそうなところを探して、路地裏をさまよう。
いかがわしい路地裏の冒険にどきどきする。どこか淫靡で罪に関係あるような後ろめたさと恐ろしさを感じるのは、兄弟が求めているのが持参した瓶をいっぱいにしてくれるフレッシュな「生き血」だからだ。
底なしの暗がりと、ピュアな少年期への郷愁の、どちらにも落ちてしまわないように、間の細い一本道をそろそろ進んでいくようなスリルも感じていた。


『近所の酔っぱらい』は、町の鼻つまみ者の、どうしようもない静かな絶望と、子どもたちへの善意(誠実さ)が心に残る。対する少年たちの残酷さ、冷淡さ、傲慢さとともに。


十の短編集の最後に『見習い』が読めたのもよかった。
彼の少年時代のすべてに対して手を振るような物語である。少年は自立する。彼を引き戻そうとするものを振り切って。その時、この短編集のなかにあるすべての物語のなかの子どもたちがこぞって子ども時代から脱出していくようにも思えた。