『無花果の実のなるころ』 西條奈加

 

 

お父さんの札幌への転勤に望(ノゾム)がついていかなかったのは、入学したばかりの中高一貫校から転校することに抵抗があったからでもあるけれど、何よりも、祖父を亡くして間もない時期の祖母を一人で置いておけない、と思ったからだ。
祖母(=お蔦さん)は、神楽坂横丁の履物屋のおかみさんであるが、もとは、その道ひとすじに育てられた芸者だ。
望の家は、曾祖父の代から、料理は男の仕事だった。父や祖父の仕込みのおかげか、望の料理の腕は、中学生ながらに天下一品である。
ちょいちょい出てくる、この家の晩御飯のメニューは、うちの食卓とそっくりお取替えしたくなるような凝りようである。
料理の腕前はスイーツにも及ぶ。大きな声ではいえないが、バレンタインに望が沢山のチョコレートを贈られるのは、ホワイトディの、望手作りのお返しを期待されてのことだという噂だ。
まずは、望の料理を文字で堪能するのが、この本のお楽しみのひとつ。


それから、姉後肌で凛としたお蔦さんの歯切れのよい言葉と、集まってくるご近所衆の掛け合い。人情篤い東京下町の良さだ。
どちらかといえば控え目な望はこうした面々に、やりこめられっぱなしなのだが、ことが起こり、いざとなれば、望に黙って寄り添うお蔦さんの存在感の頼りがいのあること。かっこいい人なのだ。(ほんとに、望は「独り暮らしの祖母のために同居」したんだったっけ?と首をかしげてしまう。)


ミステリの連作短編集である。
起こる事件は、連続通り魔事件やら、詐欺、誘拐、傷害……。
その合間に、望は恋をして、文化祭を楽しみ、友情を温めていく。
たまたま、望のまわりで事件が起こり、いやおうなしに巻き込まれる。
それを解決するのが、望とお蔦さん(……はっきり言ってしまえば、お蔦さんの推理力なのだけれど)
起こった出来事を思えば(そして、被害者のことを思えば)どの事件も、嫌な事件だ。けれども、終わってみれば、どれもこれも、加害者は憎めないやつになっている。
それは、お蔦さんの人を見る目の確かさだ。
お蔦さんは甘くない。凛としていて、道理を曲げることは決してしない。
けれども、なんだろう、彼女の中で一本通っているのは、人への信頼だろうか。
芸者として、履物屋のおかみさんとして、長く人間を見てきた人だ。
お蔦さんだからこそ、見えたものがある。


最後の事件は、お蔦さんの留守に起こる。思いがけず、望は渦中の人になってしまう。
手を引くわけにはいかない状況のなかで、彼はほんとうは祖母にすがりたかったという。
「お蔦さんなら、どうするだろう」彼は自分に問いかける。
胸の内のお蔦さんは、望に答えを与えてくれただろうか。
この連作短編集が、望という少年の成長物語であったか、とここへきて、知った。