『ミスター・ピップ』(再読/補足) ロイド・ジョーンズ/大友りお(訳)

 

ミスター・ピップ (EXLIBRIS)

ミスター・ピップ (EXLIBRIS)

 

 再読。

初読の感想はこちら(http://kohitujipatapon.hatenadiary.com/entries/2010/06/22

に書いていますが、久しぶりに再読して、先の感想に、少し付け足したいことをここにメモしておこうと思います。

 

マティルダが『大いなる遺産』を読みながら、ピップの気持ちがどうしてもわからない、とミスタ―・ワッツに尋ねる場面がある。(遺産を獲得した後のピップの忘恩について)
ミスター・ワッツの曖昧な返答の理由は、彼自身の過去に隠れていた。
物語は、人を逃がすこともある。
現実逃避かもしれない。
が、一時的でもなんでも(実際そのツケがどこかで回ってくるとしても)それが一番必要で確かな手段になるときってある。
物語は、信頼してよい逃がし手だ。
思えば、あの恐怖の日々に、子どもたちがミスター・ピップの物語を読み続けたこともまた、現実からの逃げ、ともいえる。
逃げることが、思いがけない時に、思いがけない形で、別の方面の扉を大きく開け放つことにも繋がる。(逃げられなかった人のことを思うと、怯んでしまうのだけれど)
物語は不思議だ。物語を読むことも不思議だ。本を離れてもなお、読者を翻弄し、遥かな場所へ導く。

「サバイバルの手段は鉈ではなく、物語を語ること」