『子どもの涙 -ある在日朝鮮人の読書遍歴』 徐京植

 

子どもの涙―ある在日朝鮮人の読書遍歴

子どもの涙―ある在日朝鮮人の読書遍歴

 

タイトルの「子どもの涙」は、ケストナーの『飛ぶ教室』からとったものだ。
「子どもの涙はおとなの涙より重いことだってめずらしくありません」


子どものころ(物心ついたころから、高校卒業のころまで)のことを、その頃愛読していた本を通して振り返る。
私の身に置き替えてみても、そのときどきに読んでいた本を思い出せば、それはそのまま、これまでの自分の暮らし、歩みの記録みたいなものになる。タイトルや書影を思い浮かべるだけで、当時の自分自身の姿や、回りの情景まで、鮮やかに甦る。


いつだって、私は単純にただ楽しんで本を読んできた……


しかし、著者は在日朝鮮人である。1951年生まれ。そのことが読書とどういう関係があるのか。
本が好きといっても、わたしと同じ本を読んでいたとしても、そして、同じ部分に心動かされたとしても(実際には、著者の読書は、わたしなんかよりも遥かに幅も奥行きも広い、深い。とても「同じように」などと並べて言えるようなものではないのだけれど)その背景ゆえに、その読書体験は、とても複雑なのだ。


著者は、日本生まれ、日本語のなかで育ち、日本語の読み書きを習い、日本語の本を読んで育った(それ以外の場所も言葉も彼にはなかった)が、日本語で書かれた本は、著者のような立場の人を読者の対象としてはいなかったのだ。
自分にとっての唯一の言葉で読みながら、その唯一の言葉で書かれた本は、最初から自分を疎外していた、ということだろうか。
何にも疑問をもつこともなく、楽しんで読んできたわたしとは全く違う。私が当たり前にもっているものを最初から奪われながらの、著者の読書を前にして、わたしは何を読んできたのか、と考えている。


ちいさなころ、著者は、『王子とこじき』などを読みながら、こっそりと「ほんとうの親」に憧れた。彼が思い描く「ほんとうの親」は、平凡な日本人だった、という。
小学生のころには、「偉人伝」や「世界史めぐり」のような本を読みながら、何も知らず「中国を見下す日本人の立場に自分を置き、獅子とか豚とか知ったかぶりをして小学校で褒められていた」という思い出は、なんという苦さだろうか。
高学年のころに夢中になって読んだ吉川英治の『三国志』から、皮肉にも「わたしのなかに「大東亜共栄圏」的なものも少し混じってしまったかもしれない」と著者はふりかえっている。


『朝鮮詩集』の佐藤春夫の序文の、優しそうで美しい、とても無邪気な言葉は、おそらく日本人の一般的な考え方だったのだろう。この本のなかで引用されているのを読むと、ただ恥ずかしく情けなくて。その言葉があまりに無邪気なぶん……


著者は、中学入学をきっかけに、日本風の通名をやめて、本来の姓「徐」を名乗る。
在日朝鮮人」という自分の立場を明らかにしながら、自分が何者であるか、この(狭義に同朋と認めたもの以外には)極めて懐の狭い国の理不尽な仕打ちをどう考えるか、この先どうやって生きていくか、考え続ける。
著者にとって読書は、ただ楽しみではなかった。著者の言葉の一言ひとことが、わたしには痛いようだった。
そうした彼から、「自分が在日朝鮮人であるということ、その疎外を意識してこそ前進が可能になるのだ」という言葉を引きだしたのも、貪るように読んだ本からだ。


あとがきのなかで、韓国で政治犯として、長い年月、拘束されていた二人の兄に二十年ぶりに会ったときのことを書いている。二人とも子ども時代の気質を驚くほどに留めていたそうだ。
「子どもの頃にいやおうなく刻印されてしまった何ものかを背負ったまま、人は多くの苦しみとわずかな喜びとに彩られた長い人生の時間を耐え忍ぶのである。そして、人に人生を堪え忍ぶ力を与える源泉もまた、子どもの頃に体内深く埋め込まれた、その何ものかに潜んでいるのだ」