『八十日間世界一周』 ジュール・ベルヌ

 

八十日間世界一周 (創元SF文庫)

八十日間世界一周 (創元SF文庫)

 

 

1872年のことである。
ロンドンの革新クラブのメンバーに、フィリアス・フォッグ卿という貴族がいたが、彼はちょっと変わった人物だ。
人との付き合いを好まず、大きな屋敷に下男を一人置いて、たった一人で暮らしている。
自身の財産に対しては大変鷹揚であるが、日課については、過ぎるほどの細かさだ。毎日、厳密に同じ時間、同じ温度のお湯でひげをそるが、ある時(ただ一回だけ)、湯の温度がいつもより(華氏で)二度低かった、というだけの理由で、下男をクビにした。


あるとき、新聞に、論理的には80日間で世界一周することは可能だ、という記事が載った。論理的にはありでも実際にはあり得ない、という革新クラブのメンバーに、フォッグは賭けを申し出る。
実際に自分がそれをやってみせようと、八十日間世界一周の成功に二万ポンド賭ける。二万ポンド……これは、フォッグ氏の全財産の丁度半分なのだ!
そして、残った半分の財産をスーツケースに詰めて、新しい下男のパスパルトゥー(これがまた、様々な特技をもつ気のよい若者で!)を供に連れて、その夜のうちにロンドンを出立する。
ところが、ちょうど同じころに、スコットランド銀行から五万ドルの大金が盗まれる。目撃情報によれば、賊の姿はフォッグ卿の容姿に重なるものがある。最小限の荷物を持ってロンドンを慌ただしく出ていくフォッグに、目をつけたのが、スコットランドの敏腕(?)刑事フィックス(『ルパン三世』の銭形警部をもう少し静かにしたような感じ)。逮捕状を次の寄港地に急ぎ送る事を要請し、自らはフォッグの後をつけて、ボンベイ行きの汽船に乗りこむのである。


巻頭に掲げられた世界地図がおもしろい。
フォッグの足跡と旅行手段を示した地図。汽車や汽船のほか、ゾウ(!)とか橇(!)とか。
そして、主要なポイント(寄港地)には、到達の日付が記載されている。
ロンドン出立は10月20日。到着は12月21日。(ちょうど80日。……では、達成するんだね!)
物語を読みながら、何度も地図で、通ってきた場所と、これから通るはずの場所を確認する。
途中で、思いがけないアクシデントが次々に勃発する。フォッグを(逮捕状が届くまで)寄港地ごとになんとか足止めしようとするフィックス刑事の執拗で狡猾な罠(?)もある。
物語の終わり(賭けの期日)に近づけば近づくほど、絶対絶命感は募る。
切りぬけられるのか。とても切り抜けられるとは思えないけど、切り抜けられるってことだよね。どうやって??


読んでいるうちに登場人物たちが、だんだん好人物に思えてくる。
四角四面で何がおこっても顔色一つ変えないフォッグ、職務に忠実な朴念仁のフィックスの、表に出さない部分が見えてきて、好きになってくる。この二人、意外によく似ている。
そして、下男パスパルトゥーはいつだって愛すべき存在であった。


しかし、1872年の世界(ベルヌが想像力を駆使して描きだした世界)は、なんて不思議なのだろう。アジア各地もアメリカも、ほとんど異世界のようだ。
また、フォッグが、ぱあぱあお金をばらまくことといったら。それもこれも、時間を厳しく節約するためではあるが、しまり屋のわたしは汗をかく。


最後に
「しかし、けっきょく、彼はこの旅行からなにを得、なにを持ちかえっただろうか」に対する答えを思い浮かべながら、最後の一文に、頷く。
「実際、人は、それほどの大きな収益がなくても、世界一周をするのではなかろうか?」
旅は、空間を移動するという意味だけではないから、ね。