『ペットねずみ大さわぎ』フィリパ・ピアス/高杉一郎(訳)

 

ペットねずみ大さわぎ

ペットねずみ大さわぎ

 

 

シド少年が食糧庫に隠して飼っていた二匹のジャービル(アレチネズミ)が、ネズミ嫌いのお母さんにみつかってしまった。
どうしてもジャービルを手許におきたい中学生のシドと、彼とおなじ気持ちでいる二人の妹。でも、彼らの意見は尊重されない。
おかあさんの再婚相手のビルは、自分も昔ハツカネズミを飼っていたこともあり、シドに同情的だが、おかあさんには何も言えない様子なのだ。


シドの気持ちを考えると、おかあさんの一方的なやり方に、何もそこまで、なぜそこまで、と思う。
ビルとおかあさんとが、本当はよくよく話し合えたらいいのにと思う。
でも、ビルはそれができない。おかあさんもその気はないらしい。
そのため、この家庭はなんだか歪だと感じる。


シドは、ほんとうのおとうさんのことをよく覚えている。だから、ビルを受け入れられない。
上の妹ペギーは、あまり父のことは覚えていないが、ただ、手を繋ぐ時、おとうさんの大きな手のかわりに指を、自分の小さな手全部でにぎっていたことを、そうやって一緒に歩いたことを、懐かしく思い出す。
下の妹エイミーは、おとうさんのことを全然覚えていないが。
おかあさんでさえ、時に、三人の子どもは、あのおとうさんに似ている、と感じることがあるし、もしあのおとうさんが生きていたらどうなっていただろうと一人考える夜があるのだ。


ビルとおかあさんは結婚したばかり。家族は始まったばかりなのだ。
家族のなかで、中立というよりは意気地なしに見えるビルは、この家族の不安定さが見えているのだろう。
下手に動けば空中分解しかねない家庭であることが。
そして、子どもたちのおとうさんの存在感を、不在であるがゆえになおさら大きな存在感を、意識していたのだろう。


ジャービルをまんなかに置いて、母親と子どもたちとビルとは、対立したり、譲歩したり、つっぱねたり、又譲歩したり、困ったり、自省したり。それぞれのやり方で、相手の気持ちを推し量りつつ、少しずつ寄り添い始める。
そうやって、彼らは、彼ら自身さえ知らないままに目に見えないものを育てていたのだ。
小さな二匹のジャービルは自分らの運命(?)を預けて、このささやかな家族を見守っているようだ。


そうそう、小さなエイミー(本当のおとうさんのことを覚えていないエイミー)が、ビルと手を繋ぐ場面がある。ビルの大きな指に手を繋ぐ場面は、ペギーが思い出のなかでおとうさんと手をつないでいたのと同じやり方なのだ。
つながった大きな指と小さな手を思い浮かべると、喜びが、ふっくりと膨らむ。