『1ダースの超短編』12人の作家たち(「飛ぶ教室」57号:特集)

 

飛ぶ教室第57号 (【特集】1ダースの超短編)

飛ぶ教室第57号 (【特集】1ダースの超短編)

 

 

特集「1ダースの超短編」を読む。
12人の作家による「くすっと笑える。背筋が凍る。こころ揺さぶられる。どこかヘンテコ。いろんな自分に出会う、12の短いお話」が収録されている。


『チョウチョの電車』 安東みきえ
引っ越し先は電車で30分の距離だった。でも、奈々は(転校前の町へ、旧友に会いに)「来るたびに少しずつ距離がのびていく気がした」という。
帰りの電車に乗った奈々を追いかけるようにしてきいろいチョウチョも乗ってきた。
チョウチョを目で追いながらの、奈々が見る電車の内外の景色、同じ車両の人びとのことが描かれる。
わずか30分の出来事なんだよね。表立っては何も起こらなかったけれど、奈々の気持ちは変わっていく。読んでいるわたしの気持ちもどんどん上に向いてきた。
春だね。別れと出会いの季節だね。そして、新しいものがずんずん育つ季節だね。


『ハラマキのヒミツ』 岩佐めぐみ
ワニの学校はダジャレがいっぱい。愉快だ。
友だち思いのワニの子どもたちの「イナバウワニ」の情景、思い描く。かわいい。


『サボテンのなまえ』 大前粟生
一緒に暮らしているんだもの、名前、つけてあげたいね。
「これまでとは、なにかがかわりそうで」という「すこしのあいだ」が心に残る。


『プロムチョキンでございました』 石川宏千花
国民たちが幸福そうな、子どもだけの国に、国民が永遠にいようとしないのはなぜ。この国で最も重い罪は何。
「~でございました」という丁寧な言葉で綴られていくナンセンスなお話。


『サイン』 高畠じゅん子
作者のサイン入りの絵本をみつけたかほちゃんが思わずつぶやいた「落書きみたいな字」に、機嫌をそこねたサインが本のなかから飛び出してくる。
いつか、親戚の子が、わが家の、ある作家様のサイン本(家宝!)をみて、「ああっ、これだれがやったの? いけないんだー」と叫んだことを思い出した。小さい子にサインと落書きの違いを説明するのって難しい。


『うまのこと』 少年アヤ
彼は、なぜ、うまなのか。
学校が嫌いなうまの語る言葉は繊細で豊かだ。
母さんが拭いた「ひかりそのもの」みたいな窓。靴下のなかに隠した紙の望遠鏡。嫌いなランドセルはカタツムリの殻。
一方で友だちや学校ことを語るときには、激しい言葉がほとばしる。
彼が心のうちで攻撃しているのは、ほんとうは誰なのか。


『五月の棘』 いとうみく
思えば、事情はそれぞれ違うはずなのに、乱暴に大多数を大雑把にひっくるめて「~の日」として祝うって変だ。
そんなことをしなくても、人が、ただ自然に、懐かしい人の事を考えることは、どうしたらできるんだろう。
「こんなにも悪びれもせず、人のことを「かわいそう」と言えてしまうってすごい」という言葉にどきっとしている。
なるほど、「かわいそう」な人は、こうやってできあがるものなのか。
大多数の人たちが同じように祝う「~の日」の繰り返しのなかで、長い時間をかけて、その人を不憫に思う人や、善意の人や、どうしていいかわからない人や、それから何も考えない人によって。
私はどこかの場面で、だれかにとっての「すごい人」になっていないか、ということが無性に気になった。


『シャンプーのすすめ』 最果タヒ
どきっとする。過激な言葉がずんずん出てくる。ハリネズミの針みたい。
気持ち悪いシャンプーだった。洗えば洗うほど、気持ち悪くなりそうだけれど、一度使ったらやめられなくなりそう。


『さち子の扉』 こだま
同じハンデを抱えて隣りを歩く仲間が、横から励ましてくれるのは、いいな。
さっちゃん、それでだいじょうぶ。悪くないくらいがいいんだね。 


『迷子の歌』 滝口悠生
じいちゃんに買ってもらったばかりの真新しい自転車に乗って、迷子になった。
物語の最初から何か不穏な雰囲気を感じていて、どきどきしていた。
「わたし」のさびしさや恥ずかしさが、リアルにだった。
似たような場面を経験したことがあるような気がする。ぞっとするような緊迫感も、知っている。心細さも安心も恥ずかしさも、みんなよく知っている。
愉快な思い出ではないけれど、読み終えて、懐かしいと感じた。


『天使が、ふくらんだサイフを』 朽木祥
夢中で読んでいた大好きな本の続きをいますぐ読みたいのに、肝心の本がみつからない。
学校で、仲良しの友だちの誘いかけの声さえ聞こえないほどに夢中で読んでいた本なのに。
ここに入れたはずなのにない。そういうことってあるよね。
「わたし」はあちこち探す。探しているうちに、大好きな本のあの場面この場面が蘇って、いつの間にか、本の世界に入りこんでいる。
そうして……
私が好きなのは、この一行。「だんだん元気になってきた」
不思議だなあ。いや、不思議なんかじゃない、大好きな本ならきっとそう。その場に(本は)いなくても、今まで読んできたページが総動員して、大きな力になってくれる。
このお話には、粋なしかけがある。この雑誌のタイトルを見直して、見比べて、わたしは跳びはねたい気持ちになっているのだ。
それから、もうひとつ。物語は、読者にウィンクするように、楽しいなぞなぞをしかけている。答えは、あなたとわたしの本棚のなかにあるかな、それとも?


『福徳のむく犬』 町田康
お約束の福徳にあずかるためには、縁起を担いではいけないと言われて……
「厄介なのは個人的なほうで」に、なるほどと思う。無意識に縛られているものってあるなあ。
縁起を一切気にしなければ、さぞや自由になるだろうと思うけれど、なんという皮肉。