『種をまく人』 ポール・フライシュマン / 片岡しのぶ(訳)

 

種をまく人

種をまく人

 

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始まりは、一人の少女が六粒の豆の種をまいたこと。上手に育てたら、自分が生まれる前に亡くなった父が気づいてくれるかな、と思ったのだった。
そこは、クリーヴランドの貧民街にある、汚い空き地の一角だった。そこらじゅうに大小のゴミが散乱していて、ネズミが残飯をあさるような場所だった。
それでも、そこには土があった。


やがて、少女がまいた豆に気がついた人、その豆が少しずつ育っていることに気がついた人が、ぽつぽつと自分の種をもってやってきた。
集まってくる人たちは、人種も国籍も、職業も、年齢もさまざま。ただ、ふとこの場所で立ち止まった。立ち止まって、思いがけない土のにおいと、緑とに、心動かされた。
畑や菜園などない場所で、思いがけず出逢った光景は、それぞれの悩みや苛立ちをしばらくの間、忘れさせた。
そして、それぞれ、動機も目的もみんな違うけれど、とにかく種をまき、水をやり、なにかを育ててみようかと思った。
空き地は人を拒まなかった。誰の土地でもないから(ほんとうは市の土地だけれど)空いているところにだれが何をまいても植えてもよかった。


物語は、この空き地に集まってきた一人一人を主人公にした小さな章(どの章も、一編物語として読み応えがある)を寄せたものである。ひとりひとりの物語は、さむざむとした空き地が、豊かな畑に育っていく過程でもある。
来し方暮らし方、まったく違う人々が、この場所で、もくもくと植物を育てる。協力して育てる、というのではない、何かを言い交わしたわけでもない。各々が各々のやり方で、目的で、ただそこで作物を育てる。
その光景が素晴らしい奇跡のように思えた。


ところが……
ある人は気がつくのだ。
この菜園では、黒人は黒人、白人は白人、中央アジア人、東洋人が、それぞれ別々にかたまっていること。
せっかくの収穫物を何者かに盗まれてしまったり、
また、畑の真ん中に、ごみを投棄されたり、そんなことも起こっていた。
そこで、自分の菜園に、外部の人間が入れないようにフェンスをめぐらし、鍵をつける人が現れた。立ち入り禁止の立て札もたった。
「わたしらの菜園も、「パラダイス」から、もとのクリーヴランドに逆戻りか――そう思いましたよ」
暗澹とした気持ちになった。まわりじゅうそんな風なんだもの、畑だってそうなるのも当たり前か、と思って。


だけど、時間をかけて畑の姿は変わっていく。どんどん変わっていく。
この畑で育っていたのは、ほんとうに野菜だけだっただろうか……


わたしもそこで、あなたたちのそばで種をまきたいよ。


たぶん、畑じゃなくてもいいんだ。本物の種がなくてもいい。
ささやかでいい。
大切に思える場所、時間があること、手を振り合える人がいること、そういうことが、何かきっと人にいいことをするんじゃないかと思う。
みんなで協力して何かをなしとげようなんて誰も考えていなくても。
種をまく場所はあちこち、そこいらじゅうにあるような気がしてくる。
わたしたちは、自分でも気が付かないうちに、見えない種をまくかもしれない、そうだったらいいな、とこの本を読みながら思っていた。