『バレエシューズ』 ノエル・ストレトフィールド/朽木祥(訳)

 

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『バレエシューズ』は、児童書の古典であり、日本でも、何度も翻訳されているが、この本は、児童文学者、朽木祥さんによる完訳である。
美しい本。いつまでも本を読み終わりたくない子どもたちは、400ページ近い厚さのこの本をどんなにわくわくして受け取ることだろう。
文章の美しさに魅了されるが、それ以上に、この本の文章は、声に出して読みたい、耳から聞きたい文章でもある、と思うのだ。音読する心地よさに、ふくふくとした幸福な気もちが湧き上がってくる。


世界中を航海する大伯父が引きとった三人の赤ちゃんが、数年の間に、ブラウン家の留守を守る姪(甥の娘)のシルヴィアの元に、次々と送られてくるところから、物語は始まる。
この赤ちゃんたちが、フォシル三姉妹、ポーリィン、ペトローヴァ、ポゥジー
大伯父はその後音信不通になり、一家の家計は苦しくなってくる。
生活費の足しにと、シルヴィアは、家を改装して下宿人を置くことにしたが、この下宿人たちが素敵なのだ。
それぞれの得意分野を惜しげなく提供し、三人の娘たちの学業終了までの教師となり、よき理解者となり、形を変えて娘たちの教育に手を貸す。
ことに、少女たちが、無償で、児童ダンス演劇アカデミーでダンスや演劇を学べるように計らってくれたことは大きかった。


性格も違えば、才能も、興味も、夢も違う三人の少女たち。
体も心も踊るためにあるように生まれついた、天才児の末っ子ポゥジーは、アカデミーでもあっというまに一目置かれる存在になる。
演じることが大好きな長女ポーリィンは、ルックスにも恵まれたが、人一倍の努力家で、ステージに立てる歳になったときには、意欲的に道を切り開いていく。
一方、踊りも歌も演技も嫌いで毎日が辛くてたまらない次女ペトロ―ヴァ。それなのに、家計のことを考えると言えないのだ。
彼女は、数学が得意で、機械いじりが大好きで、いつか(家計の心配をしなくてよくなったら)飛行機乗りになりたいのだ。
彼女が、辛い時間をやり過ごす間、天井をじっと見つめて「中国に向かって空想上の飛行機を新航路に飛ばして」いたというくだり、思わず微笑んでしまう。ペトローヴァが、空想上の飛行機を飛ばせる子でよかった。


同じアカデミーに通いながら、互いに競いあうことがなかったのは、三人があまりに違いすぎたせいだと思う。競いあうよりも、家計を助けたいという共通の思いと、ともに誓いあう夢に、結ばれていた。


まだ十代前半、夢も野心もはち切れんばかりの少女たちが、家計を心配し、オーディション用のドレスがないことを悩み、愛する保護者シルヴィアを助けたい、と額を寄せ合う姿は健気だった。


少女たちは、どんどん大きくなる。その様子をちゃんと読んでいるはずなのに、しょっちゅう忘れてしまう。
それぞれの、それぞれなりの、思いきった言葉や行動に、はっとして、そうか、いつのまにかそんなに大きくなっていたのか、と、驚くこともあった。
わたしは、読んでいるあいだ、少女たちよりも、まわりの大人たちの誰かの目で、この子たちを見ることか多かったかもしれない。


心に残るのは、ある年のクリスマスの場面だ。
下宿人やコック・メイドまでも一緒に祝う美しいクリスマス。三人の小さな娘たちを囲んで大人たちが心こめて用意したパーティは、ため息が出るほどの美しさだ。
ここに集うのは総勢12人。同じ屋根の下に暮らしながら、この人たちの間に、血のつながりはひとつもない。
それなのにそれぞれが、自分のもてるものを惜しみ無く提供しながら、この吹けば飛ぶような家庭を、少女たちの日常を、チームワークで支え、満たしている。
どんな心配事があったとしても(実際心配事だらけ)こんなに幸せな家族は他にないだろう、と思うのだ。
いずれ、皆、散り散りになっていく。
少女たちも、それぞれの方向へ向かって歩き始める。
だから……
子どもの時代を、愛情あふれる見守りのうちに過ごせたこと、あまりにさりげなく幸福がそこにあったことが、彼女たちのこれからの日々を照らし続けるに違いないと思うのだ。
読み終えたいま、せつないような懐かしさに包まれている。