『ナチスに挑戦した少年たち』 フィリップ・フーズ

ナチスに挑戦した少年たち (児童単行本)

ナチスに挑戦した少年たち (児童単行本)


1940年7月7日、ナチスドイツは、ノルウェーデンマークに侵攻する。
ノルウェーは抵抗し圧倒的な力の差のもとに多大な犠牲者を出した。一方デンマークは、ドイツによる「平和的占領」を受け入れた。
当時14歳だったクヌーズ・ピーダスンは、自国デンマークの政策を恥じていた。何もしない大人たちに怒っていた。
「おとながやらないなら、ぼくたちがやる」
彼は、当時住んでいたオーデンセ、その後家族で引っ越したオルボーで、兄と数人の同級生たちとともに、チームを組み、ドイツへの抵抗運動を開始する。
オーデンセとオルボーの若き活動家たちは、互いに暗号の手紙で活動を報告し合い、戦果を競った。
クラブ名は、尊敬するチャーチルにちなんでチャーチルクラブとした。


チャーチルクラブの活躍は多くのデンマーク人の気持ちを揺さぶる。
やがて、国中に本格的な抵抗運動を巻き起こすのだが、それは後のことだ。


チャーチルクラブが活動する時間帯は主に昼間、放課後だ(彼らは中学生で、各家庭には門限があった)
彼らは自転車で、ドイツ軍の立てた標識を倒し、矢印の向きを変え、ドイツ軍の車にペンキで落書きをし、電話線を切断し、持ち物を盗んだ。
活動は、どんどんエスカレートしていく。
盗みは大胆になり、ドイツ軍の武器を奪った(使い方は誰も知らなかったけれど)
軍用車を燃やし、爆弾(のようなもの)を作り、軍用列車も燃やした。
さらには、ドイツ兵を殺すことも本気で考えていた。

町中を自転車で走り回り、いくつもの危機を切り抜ける少年たち。
「教授」と呼ばれる化学好きな少年の発明、暗号の手紙。
もしもこれがフィクションであるならば、私は少年たちの冒険譚を喝采し心から楽しんだに違いない。
しかし、これは実話なのだ。
(著者は、デンマークレジスタンス博物館でチャーチルクラブのことを知り、2012年、七十代のクヌーズ本人に取材し、多くの資料を参考にこの本を書き上げた。)


クヌーズたち少年の活動を見ていると、複雑な気持ちになる。
少年たちのしていることが、どんどんエスカレートしていくことに、ハラハラした。
彼らの一途さ、無鉄砲さ、自信、誇り、彼らのまぶしいほどの若さが、そして正義感が、恐ろしくて仕方がなかった。
もし、このまま続いていたら、どうなっていただろう。
でも、それでは、いったいどうしたらよかったのだろう。それもわからないのだけれど。
簡単に非難はしたくない、讃えることもできない。
時代、環境、それから培ってきた価値観など、ときどき、見えない壁のようなものも感じていた。


ドイツ兵を本当に殺すために、下見に行った仲間の少年は、親しげに話しかけてくるドイツ兵に出会う。
それはどこにでもいる「じいさん」だった。
「…彼らがヒトラードイツ国防軍の兵士とは思えなくなってきた。…なんで、あのじいさんたちを殺さなくちゃいけないんだ?」
途方にくれて、一瞬見せた少年の素顔と、大人顔負けのレジスタンス。そのギャップに、不安な気持ちが膨れ上がる。


彼らの中には、軍隊に入って戦うことを望んでいる者もいた。
「軍隊に入ると基礎訓練を受ける。そこで人間性をはぎとられ、人間的な感情をなくし、戦争の恐怖を任務の一部と考えるようになり、兵士として生まれ変わる」
ぞっとする言葉だった。
彼らの一途さに圧倒される。恐ろしい気持ちで。


そして、彼らは捕まる。
チャーチルクラブの目覚ましい「活躍」が書かれているのは物語前半。後半は、逮捕された後のことである――
彼らのほとんどは年を経て戻ってくるのであるが(戻ってこられなかった子もいたのだ)、そして、国じゅうに広がった抵抗運動は(多くの犠牲を払いつつも)実を結んで行くのだけれど、
刑務所での過酷な体験は、少年たちのその後の人生まで蝕む。
平和の時代になっても、大人になっても、亡くなるまで、その後遺症と思えるそれぞれの症状や病気に悩まされる。


他の(元)メンバーたちの声が聞きたいと強く思っていた。
それはもうできないのだけれど。