『雨はコーラがのめない』 江國香織

雨はコーラがのめない (新潮文庫)

雨はコーラがのめない (新潮文庫)


「雨」っていうのが、犬の名前だということは聞いていた。雨は、雄のコッカスパニエルだ。
それでこの本、いつか読んでみたいと思っていたのだ。
犬のことについて書かれた本だと思っていたから。
犬と音楽について書かれた本だなんて思わなかった。
音楽か・・・
私、音楽、好きだ。小さい声で言ってみる。
どんなジャンル? どんな曲をよく聞く? もし、そんな風に訊かれたら、答えられない。知らないんだもの。
私が好きな音楽は・・・あるとき、ふっと気がつくとどこかから(テレビやラジオ、お店のなかで)聞こえてきて、いつのまにかそれを無心に聞いてしまっていて、「ああ、これ好きだ」と気がついて、何という曲だろう、もう一度始めからちゃんと聴いてみたいなと思って、思うそばから忘れてしまう。
そういうのを「音楽、好き」といっていいのか。やはり憚りがある。よね。
だから、本を開いた時、これが犬と音楽の本、と知ったとき、ちょっと、しまったなあ、と思った。ついていけるかどうか心配だったのだ。


犬が、それも雨が「音楽を好き」というのと、わたしの「好き」は少し似ているような気がする。(元気がでる発見である)
雨は、江國香織さんと一緒に音楽を聴く。耳のうしろをばたばたと掻いたり、お気に入りのおもちゃを噛んだり、ただ眠ってしまったりしながら、聴いている。
曲名もジャンルも、音楽家の名前も知らないけれど、音楽のなかにいることを、大好きな誰かといっしょに楽しむ雨のように、わたしもこの本の中に流れる音楽を聴こう。


「強く」なりたくて、「安心なもの」がほしくて、あるいは思い出したいどこか・何かがあって、江國香織さんは、その時に聴く音楽を、雨とふたりで選ぶ。
ジャンルは幅広い。
夜更けに音楽を聴いていた江國香織さんは、「おもてがあかるくなると、夜に聴いていた音楽というものはいきなり光を失うから、その前に消さなくちゃいけない」という。
その繊細な感じがいいなあ、と思う。


雨は遊びが大好きだ。一緒に遊んでくれる人がそばにいるのが大好きだ。
雨は先天性の白内障で、やがては失明してしまう。
読んでいると不憫でたまらなくなるのだけれど、雨は嘆いたり自分を憐れんだりはしない。残っている感覚を使って、ずっとそうしてきたような顔をして、あたりまえのように暮らしているようだ。
犬は今しかない。未来も過去もない。今を全力で生きている。人には難しいことを平然とやってのけている犬の姿勢を前にして、少し厳かな気持ちになる。


降る雨と、犬の雨と、どっちの話をしているのかときどきわからなくなる。この本のなかには、雨が降る場面が多いのだ。二つの雨が混ざる。
音楽の曲名や音楽家の名前から、音を連想することのできないわたしにとって、この本の中の音楽は、降る雨のイメージなのだ。雨のように音楽が降ってくる。それが、犬の雨の動きに混ざり合う。
そういう音楽を、わたしは、この本を読んでいる間、ずっと聞いていた。