『ゴールデンボーイ 〜恐怖の四季 春夏編〜』 スティーヴン・キング

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)


スタンド・バイ・ミー』が「恐怖の四季 秋冬編」なのに対して、こちらは、春夏編。
刑務所のリタ・ヘイワース ――春は希望の泉――』「ゴールデンボーイ ――転落の夏――』の二編が収録されている。
どちらの作品も映画化されていて、とても有名な作品であるとのこと。


*『刑務所のリタ・ヘイワース
舞台はショーシャンク刑務所の中
レッドという名のほとんど終身刑に近いくらい長期服役中の男を語り手にして、同じく受刑者であるアンディ・デュフレーンの思い出を語る。
なぜ、アンディなのか、といえば、レッドは、こう語る。
「あの青白い男は、自分の体の裏口に五百ドルを隠して持ち込んだが、そのほかにもこっそり何かを持ち込んだ。」
たとえば、「やつ自身の値打ち」だったかもしれないし、「やつが最後の勝者となるという気分」だったかもしれないし、「灰色の塀の中にさえ存在する、自由な気分」だったかもしれないし、何よりも「やつが持ち歩いているのは、一種の内なる光だった」という。
刑務所には、所長や刑務官という権力を持った人間と、受刑者たちがいる。色々な種類の人間がいるのは当然であるが、ものすごく大まかに言って、どっちがより善でどっちがより悪か、わらかないときがある。汚さでいったら・・・どっこいどっこいだろうか。
そういう場所であるから、むしろ、受刑者たちの非力さが際立つように感じられるのだ(もちろん、ここにいるってことは、それでもお釣りがくるくらいのとんでもないことをしでかしたのだが。大抵の場合は)
それだから、レッドによって描写されるアンディの姿は、あまりに印象的なのだ。刑務所の中で、自由をまとって、「一種の内なる光」を携帯して歩く男・・・
でも、それにしたって、ことさらに、なぜ、レッドがこれほどにアンディのことを書こうと思ったのか(自分の話ではなく、アンディの話を)を、最後の方で語る。
「アンディーこそ、やつらがどうしても閉じこめられなかったおれの一部」と。
その言葉に、魅了されてしまう。
きっちりと閉じ込められ、管理されている一人の囚人が、他の誰かのなかに自分を見出す。その「自分」は、管理者の知らないうちに、管理者など手の届かない遠い彼方に、自由自在に飛んで行くようなのだ。


*『ゴールデンボーイ
トッドが、ナチスの残虐行為に興味を持ち、これこそ「人生最大の関心」と思ったのは、1974年、13歳の時だった。
そして、その夏。彼は、この町に、ナチス時代の戦争犯罪人が、経歴も名前も変えて暮らしていることを突き止める。強制収容所の所長を勤めていたドゥサンダーである。
トッドが、彼の元に現れたとき、彼は最初、少年の事を強請りか、と思った。けれども、トッドがほしかったのは、「はなし」である。
「はなし」!
ドゥサンダーがナチス時代に行った残虐行為を、毎日、通ってくる少年に、すっかり語れ、というのであった。
そのようにして、始まった二人の関係は、傍からみたら、まるで、老人と孫とが肩寄せ合って睦まじく「おはなし」を楽しんでいる、牧歌的な光景のようにみえる。
しかし、それは、怖ろしい「おはなし」の日々であった。
二人の間に存在するのは支配と被支配の逆転に次ぐ逆転。依存。恐れと激しい憎しみ、それでいながら、共感も、賛辞すら、ある。
話をせがむトッドも、話を掘り起こすドゥサンダーも、次第に壊れていく。壊れつつ、おびえつつ、快感のようなものが芽生えてくる。
「もうたくさんだ」と「もっともっと」との希求がともに激しくせりあがってきて、おさえきれなくなってくる。
金髪碧眼のトッドは、美しい少年である。学業もスポーツも、誰よりも秀でているし、その笑顔は、だれをも魅了する。まさにゴールデンボーイである。
その彼の中に、黒々とした大きな闇があることを、誰も気づくことができない。
それは、本来、ぴったりと蓋がかぶさっているはずの闇である。その蓋が、どこかで開いてしまったか・・・
トッドが初めてホロコーストについて興味をもったのは、友人宅のガレージに積んであった戦争実話雑誌を見たときだ。
「どの雑誌を見ても、そこで起こったことは悪いことだと書いてあった」「悪いことだといっている文章がいろいろの広告にとりまかれており、その広告は、ドイツの軍用ナイフや帯革や鉄帽を、脱腸帯や毛生え薬といっしょに売っているのだった」
「悪いことだとは書いてあるが、そんなことを気にしない人たちがおおぜいいるようだった」
おおぜいって、なんだろう。
この物語を読んでいて、、一番恐ろしいのは、自分のなかにも「蓋」があるような気がしてくることだ。
しっかり塞いであるはずのその蓋が、いつか、なにかの拍子に開いてしまうのではないか、その蓋の下には、いったいどんな暗闇があるのだろう、と考えてしまうことだ。
この寒さったら・・・怖さったら・・・