『ヘンショーさんへの手紙』 ベバリー・クリアリー

ヘンショーさんへの手紙 (あかね世界の文学シリーズ)

ヘンショーさんへの手紙 (あかね世界の文学シリーズ)


リー・ボッツが、はじめて作家のヘンショーさんに手紙を書いたのは、小学校二年生のとき。
担任の先生がクラスで、ヘンショーさんの本を読んでくれて、それがとてもおもしろかったからだ。
この物語は、リー・ボッツのヘンショーさんへの手紙と日記だ。
リー・ボッツは今は六年生になった。
はじめて読んでもらった二年生のときから、ずっとヘンショーさんの本が好きで(図書館で何度も何度も借りて読んだ)、その後、何度も手紙を書いてきた。
しかし、その手紙ったら、率直というか不遜すぎて、吹き出しそうなくらいだ。
「あなたからもらったお返事は、ただの印刷の手紙だったから、自筆の手紙を送ってほしい」
「学校で、作家についてのレポートを書いているので次の質問(十個ある)にこたえてください。
あなたの書いた本のリストと、サイン入りの写真と、しおりも、今度の金曜日までに送ってほしい」
「あなたの手紙は(学校の)レポートに間に合わなかったから、あなたからぼくへの質問(十個ある)にも答えるつもりはない」
などなど・・・
でも、この図々しい手紙を何通か読めば、この子がヘンショーさんの一冊の本を何年もの間、繰り返し繰り返し読んでいることが伝わってくるし、自分の犬をどんなに可愛がっているかも伝わってくる。この子の家族のことも(父と母と、リー本人、そして犬のバンディット)わかってくる。
やがて、手紙には、リーの家族の変化のことがさらりと書かれるのだ。
父母が離婚し、長距離トラック運転手の父は、犬のバンディットを連れて家を出ていったこと。母と二人の暮らしになり、学校も変わった事。


知らない町、知らない学校。友達はひとりもいない。学校から帰ってきても、ひとり。自分を迎えてくれるはずの犬もここにはいない。
電話するよと約束した父さんは、約束をちゃんと覚えていられない。
かあさんの勤める仕出し屋のケリーさんが、リーの弁当用に分けてくれたおいしいおかずは、いつもお昼の前に、誰かに盗まれてしまうし・・・


少年の書いた手紙(独り語り)で進む物語であるから、少年が気がつかないでいることは、読者もまた気がつかない。
リーの世界は(読者に見える世界は)狭かったけれど、その狭さにも気がつかなかった。
ただ、リーのどうしようもない寂しさや苛立ちが伝わってくる。
ところが、リーの存在に気付き、気に掛けていた人たちもいたのだ。
そういうことに気がつき始めたことが、最初の小さな始まりだったのかもしれないな、と今思う。
自分を見守ってくれる周囲の人たちに気がつくってことは、自分もまた、だれかを見守る、その人の周囲のひとりだということに気がつくことでもある。


少年の成長の物語、といったら、それまでだけれど、この物語がことさらに好きだ、と思うのは、少年の変化の柔らかさのせいだ、と思う。
物語は繊細で丁寧で、無理がなくて、とんがってなくて。・・・言葉にしようと思うと「やわらかい」という形容詞が浮かんでくる。
たとえば、解決できないあることへのリーの苛立ちが消えていく過程。そのことがなくなったのではなくて、彼にとって、解決する必要がなくなってしまうこと。その変化が、夏の雨のような気持ちのよさなのだ。


そういえば、笑っちゃうほど不遜だったリーの手紙が、美しくなったのはいつからだったかしら。いつのまにか・・・。
それから、大人になったら作家になりたいと願う12歳の子は今何をしたらいいか、そのヒントをさりげなく教えてくれている。