『ソロ』 ラーナー・ダスグプタ

ソロ (エクス・リブリス)

ソロ (エクス・リブリス)


ブルガリアの首都ソフィアのアパートに暮らすウルリッヒは、もうすぐ百歳になる盲目の老人である。
貧しく、隣人の援助を受けてやっと暮らしている。
最近、記憶も曖昧になってきているが、彼は自分の人生を振り返る。
これが第一楽章「人生」。
戦争や、くるくると変わる政権に翻弄され、彼の人生は失うことの連続だった。
彼が愛したのは音楽、化学。どちらも、ひどい仕打ちで断ち切られ、あきらめなければならなかった。
引き裂かれて失った、かけがえのない人々。親友、恋人、妻と小さな息子、そして、母。
いつのときも、「なぜ?」と問いかけたいほどに、彼はさっさとあきらめているようにみえる。あっさりと。
「おまえには本当に執着しているものがないみたいだ」
けれども、彼が生きていくこと、暮らしていくことは、それだけで精一杯の大仕事だった。
不穏な影は、いつでも彼の周りに踊っていた。政権の交代は、喜劇のようだった。


第二楽章「白昼夢」
第二楽章はブルガリアの過疎の村に一人暮らす青年と、グルジアのトリビシに生まれ育った姉弟と、二つの物語だ。
二つの物語はやがて一つに合わさる。
実は、これは、ウルリッヒが紡いでいる夢なのだ。
夢、といっても、そのリアルさは、第一楽章の現実を凌ぐほどだ。
三人の若者も、彼らを囲む人びとも、誰かの夢の中にしか存在しないなんて、どうして思うことができるだろうか。


第一楽章に出てきたこまごまとしたものが、別の形になって、別の意味をもって、第二楽章にもあらわれる。
例えば、人の名前。プラスティック。ビー玉。たくさんの薬瓶。音楽。ヴァイオリン!
まだまだ、たくさん。きっと見落としているものもたくさんあるけれど、こういう言葉を見つけ出すことも第二楽章を読む楽しみになっていた。
そうした言葉は、それだけ取り出したら、何の意味もないガラクタだ。でも、それらが一楽章と二楽章とを結び付けている、と思うと、途端に輝きを帯びてくる。
第一楽章であきらめたものたちが、これらの言葉とともに蘇る。
現実の世界であきらめてきたものを夢で補完する、夢で折り合いをつける・・・だけではない。
だって、夢の中の人々は生きている。夢を紡ぐウルリッヒ本人さえも思いもよらない方向に、奔放に駆けていき、思いがけないことが起こり続ける。
そう、彼らは生きている・・・
彼らは若い。彼らは、ウルリッヒの子どもたちだ。
同時に、どの子も、ウルリッヒ本人だ。(タイトルは『ソロ』。二つの楽章を合わせてウルリッヒひとりのソロ演奏なのだ)
自由に走り出した第二楽章の彼らがもっとも悲痛な思いに沈むときでも、暗く感じない。むしろおおらかな明るさに支えられているように感じる。


色とりどりのガラクタ言葉を中心に、二つの物語がぐるぐる回り始める。
しまいに、不思議な気持ちになる。どちらの物語が現実で、どちらの物語が夢なのか。
(いいや、どちらか、なんてことはないのだ、きっと。)
「実際に生きるのは選択した人生だけど、そこからはみ出た部分にも意味がないわけじゃない」