『その犬の歩むところ』 ボストン・テラン

その犬の歩むところ (文春文庫)

その犬の歩むところ (文春文庫)



犬が旅をする。犬の道は螺旋のようだ。犬はたいてい人と一緒だった。
犬の道に、二重螺旋となって絡まるのが「アメリカ」だった。


犬は長い旅をする。人間の身勝手さのために、点々と居所を変え、残酷な仕打ちを生き延びたのだった。
犬が旅を続けることができたのは、「生きたいという強い意志」「身も心も自由になろうとする固い決意」「片時も彼から消えることがなく、衰えもしなかった究極の善良さ」があったせいだ。
そして、犬は人たちと出会うのだ。
犬が出会う人もまた「究極の善良さ」の持ち主だったと思う。
極端な悪意もたくさん描かれていたのに、今振り返ってみれば、どれも実体がない。


アメリカ。
9・11、ハリケーンカトリーナイラク戦争、音楽と映画、犯罪、美術・・・アメリカもまた人を乗せて大きく揺れ動いている感じだった。
映像となって私の心に残るのは、砂漠を旅する犬を乗せた車と、それをとり囲む女ばかりのバイカー(バイク乗り)たちだ。
車のルーフウィンドウから半身乗り出した犬と、バイクの上の女たちと、バンダナ(?)を振り回して、じゃれ合っている姿だ。
大音響のラジオ、バイクも車もスピードをあげて走っていくのに、音が聞こえない。スローモーションのようにゆったりと無邪気な犬がじゃれ遊ぶ姿が見える。まるで靄がかかったような柔らかい色合いで。
アメリカと犬とがじゃれあっている印象…


また、虐待され、粗末に殺された古今のアメリカの犬たちの事が忘れられない。
この犬たちの姿もアメリカの一部なのだ。


アメリカ、アメリカン、アメリカ人・・・人びとが繰り返し口にする「アメリカ」は、なんと誇らし気に響くことだろう。
実際、いろいろなアメリカとアメリカ人たちに出会う長い旅のような読書で、
なかでも、善良な人びとが「おれたちはアメリカンだ」と胸を張るとき、確かに良いものを見ているのだ、読者である私も。心動かされているのだ。
それを認めながら、正直に言えば、その都度、少しだけ醒めている。
この「アメリカ、アメリカ」は、「日本凄い」「日本素晴らしい」の大コールを思い出させる。
この本に出てくる「アメリカ」が、危険なボタンのように思えてしまい、素直に乗ることができなかった。


とはいっても、この本はおもしろい。美しい。
その犬ギヴと深くかかわった人びとは、ただ善良だというだけではない。
長い・短い半生のなかで、決して忘れることのできない喪失を体験し、深く傷つきながら、生き延びてきた人たちだ。
そのうえでなお失われることのなかった、むしろ研ぎ澄まされたような「善良さ」が際立つ。
ギヴと人とはよく似ている・・・
人の善良さを犬は正しく嗅ぎ分ける。それに向かって、犬は全力で駆けていく。全身全霊で答えようとする。
高潔なものに触れたような気持ち。