『飛び込み台の女王』 マルティナ・ヴィルトナー

飛び込み台の女王 (STAMP BOOKS)

飛び込み台の女王 (STAMP BOOKS)


飛び込み台の女王って、カルラのことだ。
カルラが飛び込むと、見ている人はみな沈黙した。
カルラの飛び込みは美しかった。
たいして努力しているようには見えないのに。


カルラのことを語るのは、カルラの親友ナージャ
二人とも、スカウトされて、飛び込みを始めた。
十歳でスポーツ・エリートのための体育学校に進学し、今は二人とも12歳なのだ。
カルラのママは、一度も娘の飛び込みを見に来ていない。
カルラがロッカーを使うコインを持って居たこともないので、いつもナージャといっしょのロッカーを使う。二人で食べるおやつを自動販売機で買うのもナージャ
カルラは、飛び込みのための水着さえいつまでたっても用意しないので、ナージャのママが見かねて買ってきた。
ナージャの語るカルラは・・・ちょっととらえどころがない。
淡白といったらいいのかな。よくあれで会話が成り立つな、と思うくらいに言葉が少ないし、ときどき、心ここにあらず、になる。
でも、飛び込み台のカルラは、まるで人が違うみたいだ。飛び込みを専攻する生徒たちの中で群を抜いている。
ナージャは、カルラのこの飛び込みを支えるために自分がいるのだ、それが自分の存在する意義なのだ、と信じる。


そういうナージャは、飛び込みが好きなのだろうか。
カルラに魅せられているけれど、本当は、ナージャも相当に力のある選手だ。
それなのに、まわりがイライラするくらいに、ナージャは「欲がない」
本当はナージャは、不安でいっぱい、苦しいのだ。
難しい技ができるようになっても、その幸せを感じるまもなく、さらに難しい技に挑戦しなければならないこと。
ナージャに多くを求める親やコーチの期待や励ましも、苦痛だった。
それに……


仲間たちの中には、カルラはナージャを利用しているのではないか、というものがいる。
もし、そういう言い方をするなら、ナージャだって、カルラを利用している、ともいえる。
ナージャが「欲がない」ままでいることの隠れ蓑に、カルラを立てている、とも言えるじゃないか。


12歳。そろそろ体が変化する年頃なのだ。ナージャは、子どもから、大人に変わることを醜いことだと思っている。
鏡を見て、自分のぺちゃんこの胸や、つるつるの皮膚を確認しないではいられない。
大人の体に変わっていくことを拒絶することと、(カルラを立てるばかりで)本気で自身の競技に向かい合おうとしないことは、同じ不安から生まれている。


同じチームの仲間、とはいっても、ここにいる子どもたちは、将来を嘱望される選手たちであり、みなライバルなのだ。
子どもたちは、ときには仲間の不調を喜び、好調を嫉妬する。
それを醜いと思うナージャに頷きたくなるが、なぜそこに頓着するのかと考えれば、ナージャの現実からの逃げの姿勢が見えなくもない。
油断すれば、たちまち落伍する。その張りつめた緊張感のなかで、子どもたちは、ひとりひとり自分の戦いを戦っているのだから。
この道を真剣に進むなら、結局、自分はたったひとりなのだ、ということをしっかりと胸に刻むしかない。
飛び込みの美しいフォーム、静けさが、文章から伝わってくる。
この美しさ・静けさに結晶する、成長への激しさ・厳しさを、息をつめて見守っている。