『真ん中の子どもたち』 温又柔

真ん中の子どもたち

真ん中の子どもたち


日本人の父と台湾人の母を持つ琴子は、三歳まで台湾で育ち、そのあとは日本で育った。
高校を卒業し、母の言葉をきちんと学ぼうと、上海の漢語学院へ一か月間の語学留学をする。


琴子は、中国語を学ぶために上海へ行くことに決めた時に、台湾の叔父に「母の言葉を学びたいなら、なぜ台湾に来ないのか」と尋ねられたことを何度も思いだす。
琴子は、自分の根っこを見定めたかった。
それで、その根っこの先端、台湾のそのさらに先にある中国を目指したのではないか。
でも、普通活(活=中国語のこの文字は変換できないため、止むなくの当て字です)と呼ばれる中国語の標準語は、中国語(?)のある種の根っこではあったかもしれないけれど、琴子の「母の語」ではなかった。


一口に中国語といっても、いくつもの言語があることにくらくらしてしまう。
普通活をよしとする人が、別の言葉(例えば、台湾語)は「訛り」に過ぎない、と断じてしまう厳しさは、狭くて寂しいようにも思えてくる。
琴子一家のなかに息づく「台湾語」の、弾むような会話を見ていると、そう思う。この家族の中で、言葉は(台湾語も、日本語も)生きている、と感じるから。


叔父の言葉通り、最初から台湾に行けばよかったのかもしれない。
けれども、ここにいたから、そして、ここで、台湾語ではない普通活に取り組み、悩んだり苦しんだりしたから、地の下に隠れて見えなかった根っこが、洗われ、磨かれ、より鮮明に見えてきたのだろう。
上海後の琴子の人生の広がりに、目を見張りつつ、上海もまた、琴子の根の中のどこかにちゃんと組み込まれているのではないか、としみじみと思う。


上海で書いた作文で、琴子は、日本語は(日本人である父の言葉だから)父語、中国語は(台湾人である母の言葉だから)母語、という。
琴子は、父語と母語の「真ん中の子ども」なのだ。
父方の祖父が昔、琴子のことを「アイノコ」と言ったことも琴子は覚えている。
アイノコはもともと侮蔑の言葉。けれども、琴子は、今、この言葉に「愛の子」という漢字をあててみせる。その清々しさ。


それにしても、自分の母語など改めて考えることもなく、言葉が自分自身にとって何者であるかも知らず、のほほんと生きてきた私だから、琴子たち「真ん中の子どもたち」の、根っこさがしの厳しさに圧倒される。
そういうことを考えることなく生きてこられたことは、本当に幸せなことだったのだろうか、と琴子たちを見ながら思う。


言葉(それも自分の根っこに関わる言葉)を学び直すことは、大きな冒険のようだ。
それぞれがそれぞれにとっての意味を感じ、それぞれの向かい合い方で、それぞれのやり方で、果敢に挑む冒険。
「わたしは自分の根っこがどうなってるのか、ちゃんと見ておきたい。幹や枝や葉っぱはそれからだな」


真ん中の、愛の子どもだから、見つけることのできる宝があるのだと、思う。
言葉をめぐる冒険は、どこまでも遠くに旅しながら、自分自身を深く深く掘り下げていく旅のようだ。
若者たちは言葉の海を渡っていく。目指すは、自分自身という宝物。
琴子たちの冒険は、続く。次の海には、何が待っているのだろう。わくわくしながら、本を閉じる。