『ナミヤ雑貨店の奇跡』東野圭吾

 

ナミヤ雑貨店の奇蹟 (角川文庫)
 

 

真夜中に、盗んだ車が故障して、コソ泥三人組が転がり込んだ廃屋は、「ナミヤ雑貨店」という看板のある、古い店舗付き住宅だった。
実は、この店は、嘗て「悩み解決の雑貨店」として有名な店だった。もとは、店主の老人とお得意(?)の小学生とが洒落と遊びで始めた「悩み相談」だった。そのうち深刻な悩みを綴った手紙を受け取るようになった店主は、真剣に考えて翌日の朝までに返事を書いた。
これが評判になり、雑誌にまで取り上げられたりもするが、それから、年月は流れ、今、この店は廃屋になっている。


誰もいないこの店、時間は深夜。ことりとシャッターの郵便受けから手紙が落ちてきた。「悩み」を綴った手紙が。外には人がいる気配もいた気配もない。
悩みを相談する手紙に、居合わせた三人のコソ泥は迷いながら拙いながらも返事を書こうとする。
彼ら、素朴で案外お人よしなのだ。そして、こういう事態をほうっておけない、と思うのは、彼らにもそれなりの事情があり……(ということはあとからおいおいわかってくるのだけれど。)
彼らは、手紙を読みながら、返事を書きながら、この手紙は、ずいぶん昔に書かれた手紙だ、と気がつく。時を越えて届けられた手紙のようなのだ。彼らの書く返事もまた時を越えていくようだ。


時間は行きつ戻りつする。
ナミヤの主人が元気だったころ。
亡くなった後。
そして、ナミヤという看板さえまだまだなかったころまで。
人々はそれぞれに、誰にも相談できない思いを誰かに聴いてほしいと、匿名で手紙を綴った。
人に悩みを相談する。けれども、多くは相談する前にすでに答えをきめていることが多いのだという。その答えが正しい事を確認したいだけなのかもしれないとナミヤの店主は考える。
そうかもしれない……
それから、まずは自分のどうしようもない思いを真面目に頷きながら聞いてくれる人がいる。それだけでほっとする、嬉しいのだ、と何人もの人が言う。
これもそうかもしれない……と思う。
相談者にとって、ナミヤ雑貨店は忘れられない名前なのだ。


そして、読者としては、相談者たちの一人ひとりが、忘れられない人になっていく。
なぜなら、この物語に出てくる人びとは、みなどこかで繋がっているからだ。
行きつ戻りつの時間の、その点と点もまた、ちゃんと繋がっている。星座みたい。
だから、五つの章を読み、一人一人の手紙を読み、その前後の情景を読み終えても、物語は終わらない。
一人ひとりの物語は開いている。別のあの人の物語、この人の物語へと。


不思議な縁じゃないか、と思う。なぜ、あの場所が、それぞれにとって大切なのか、なぜその時間がそれぞれにとって大切なのか、なぜ、そこに戻るのか……
(ああ、だからか、と思う物語もまた、おいおいに語られる)
人の真心と真心とが呼び合った奇跡がしんしんと降ってくるようだ。


物語のなかには、いくつかの時代、いくつかの時間がある。その一時ひとときが懐かしい。ああ、あの頃の町の風景だ、流行った歌だ、出来事だ。この物語の地続きのどこかに私もいた。同じものを見て聞いて、同じ空気のなかにいた、と思いだす。
それから、無性に、だれかに手紙を書きたくなってきた。もちろん手書きで。