『昼が夜に負うもの』 ヤスミナ・カドラ

 

昼が夜に負うもの (ハヤカワepiブック・プラネット)

昼が夜に負うもの (ハヤカワepiブック・プラネット)

 

 

「今にいたるまで、あの村への愛情が冷めたことは一度もない」と、老いてから、ユネス(ジョナス)は回想する。
あの村とは、リオ・サラド。アルジェリア北西部の海辺の美しい村だ。ユネス(ジョナス)は青春時代(それ以降も)をここで過ごした。
生涯の友人に恵まれた。恋をした。それから、かけがえのないものを失くした。
その一コマ一コマに、懐かしいような、甘やかな気持ちが、湧き上がってくる。
と、言いきってしまえない。
指先にずっと小さなトゲが刺さっている。ときどきの小さな痛みが、見えないけれど、それがあることを思い出させる。
 

1940年代、フランス領だったアルジェリアで、アラブ人、ベルベル人など、この土地にもともと住んでいた民族は、ヨーロッパ系の人々に蔑まれていた。
ユネスはアラブ人だった。
頑固者だが真面目で働き者の父は、農夫だったが、何度も騙されて、何もかも(生きる意欲さえも)失ってしまった。
ユネスは、子どものいない裕福な伯父(妻はフランス人)の養子になり、フランス風にジョナスと呼ばれるようになる。
ヨーロッパ式の教育を受け、フランス人の親友たちと素晴らしい青春期を過ごした。
同級生の「アラブ人は怠け者」とさりげなく吐きだす言葉、彼がアラブ人と知った瞬間に去った恋人、アラブ人でなければもしかしたら後腐れがなかったかもしれないあの日の情事…
また、使用人として主人から残酷な扱いを受けるアラブ人の青年に丁重に(皮肉に)「ジョナスさん」と呼ばれること…
恵まれた青春時代を豊かに過ごすユネスであるが、そのときどきに、はっとし、居心地の悪さを味わい、自分が何ものなのかわからなくなるのだ。
 

彼は肉親たちの事を忘れてはいない。ユネスという自分を心から愛し、愛するがゆえに手放した両親のこと。
最後に見た母と妹の姿はいつまでも目に焼き付いている。
そして、彼自身老いた今に至るまで、ときどき町のあちこちの雑踏の中で、遠ざかっていく父親の後ろ姿の幻を見る。追いかける。


やがて、アルジェリア戦争が起こる。虐げられた人びとが立ち上がる。
民族解放軍のゲリラ兵士となったアラブ人の友(?)
ゲリラ兵に殺されたフランス人の友、
街路の累々とした死体、そして、国を追われていく多くの人びと・・・
自分はユネスなのか。ジョナスなのか。答えの出ない問いかけを抱えながら、彼がずっと探しているのは、愛する人
ジョナスとしてでもユネスとしてでもなく、報われようと報われなかろうと、ただ、心からその人を愛した――


2008年。彼も友人たちも歳をとった。
アルジェリア戦争を逃れて、ヨーロッパに渡った友人たちは、今もアルジェリアを懐かしむ。
植民地だったアルジェリア、立ち去らざるを得なかった彼らはそこで生まれ育った。アルジェリアは彼らにとっても唯一無二の故郷なのだ。
「我々は国のない孤児として生きてきたなあ」
という言葉が突き刺さる。


一方で、その後の情勢不安なアルジェリア、彼らのリオ・サラドで、ずっと生きてきたユネス(ジョナス)。
苦しみつつ、どっちつかずにみえた彼が、そこにずっといつづけたことに、彼の中にある芯の強さを思う。
アラブ人であり、アラブ人でなく、フランス人の友とみられ、フランス人の敵とみられ、ただ、一人の女性を愛し、古くからの友を思う、一人の男が、ここにいる。腕を広げて、帰ってこい、と待っている。