『マンゴー通り、ときどきさよなら』 サンドラ・シスネロス

 

マンゴー通り、ときどきさよなら (白水Uブックス)

マンゴー通り、ときどきさよなら (白水Uブックス)

 

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マンゴー通りに、うっかり迷い込んだよその人たちは車の窓をしっかりしめて、目はまっすぐ前をむいて、ずっとそうやって通っていく。
よその人たちは、この町に住む「わたし」たちのことを危険だと思っているから。
バカな人たち。
「わたし」たちはこわくない。変な歪んだ目つきのやつも、そのとなりの麦わら帽子も、だれかの兄さんだったり従兄だったり、ちゃんと名前を呼びあう隣人たち。みんな茶色で「わたし」たちは安全だ。
と、語り手エスメラルダはいう。


マンゴー通りの風景を彼女は、たくさんの写真を貼り込んだアルバムをめくるようにしてみせてくれる。
彼女の家族、隣人たち、友人たち。
ここで育ったエスメラルダ自身の見たもの、触ったもの、感じたことなど。
瞬間瞬間を鮮やかに切り取った写真のようなオムニバス。


マンゴー通りに、エスメラルダの両親は家を買ったのだった。それは願っていた家ではなかった。できれば誰にも知られたくないようなひどい家だった。
母親の口ぐせは「宝くじにあたったら、本物の家(まわりにぐるっと木が植わった芝生の庭、部屋の中についている階段、最低三つある浴室)に引っ越す」こと。
大きくなったエスメラルダは、そんな話はもう聞きたくない。宝くじなんかあたらない。
そして、みっともない家に彼ら一家はその後ずっと住んでいる。


夫たちは家を出ていく。夫たちは死んでいく。でも、それはまだましなのかもしれない。妻や子をぶんなぐり続ける夫よりは。妻が男の目をひくことを怖れて家の中に閉じ込める夫よりは。


ルーイの従兄があるとき大型キャデラックに乗って現れて、通りで遊んでいる子どもたちをみんな乗せてくれた。でもそのあとすぐパトカーのサイレンが追いかけてきて、みんな急いでおろされた。


エスメラルダの父さんは、不良になりたくなかったらここの公立高校にいくなといった。だから私立の学校にいった。
でも……
「あたしがなぜ学校をやめたか知りたい? そのわけはね、いい服をもってなかったからよ。服なんかなくても、あたしは頭がよかったのに」


モンキーガーデンと言われる荒れた庭で、または廃車になった赤いクラウンの陰で、起こったことは、最後まで言いたくなかった。


どうしようもないマンゴー通りでも、おもしろいことや美しいことは起こる。いくつも。
たとえば、ギルのがらくた屋で、「大きな真鍮のレコードが入った、古ぼけた、ただの木の箱」が鳴り始めたとき、そこで起こった事など。
「まるで、いきなり埃っぽい家具という家具の上に、白鳥の首みたいな家具の上に、わたしたちの骨のなかに、数えきれないほどの蛾を飛ばしたみたいになる」


人々は思う。いつかここを出ていこうと。でも「宝くじが当たったら」みたいな夢をみているだけでは出ることはできない。
誰かにつまみ上げてもらうことを考えているなら、出ていっても、ここに留まるより惨めになるだけだ。


エスメラルダは、バッグに本と紙を詰め込んで、頭には物語を詰め込んで、自分の足で出ていく。誰にも頼らず。
彼女は帰ってくるために出ていく、といった。
残してきた人の代わりに出ていき、帰ってくる、と。
その通り、この本になって、エスメラルダはマンゴー通りに帰ってきた。
同時に、出ていったきり、マンゴー通りに帰れないでいる人たちも、この本は連れて帰ったのだと思う。
帰ってきてみれば、マンゴー通りの恐ろしい場所も、どうしようもない人たちも、まちがいなくあった美しさも、みな等しく詩になる。


「いつだってあんたはマンゴー通りなの。あんたの知ってることを消すことはできないんだよ」