『東西ベルリン動物園大戦争』 ヤン・モーンハウプト

 

東西ベルリン動物園大戦争

東西ベルリン動物園大戦争

 

 

ベルリンには、わずかな距離をおいて、世界的にも名の知られた、ベルリン市民に最も愛された動物園が二つある。
伝統ある(西)ベルリン動物園。それから、戦後、西ベルリンに対抗して作られた(東ベルリン)ティアパルクである。
まだドイツが東西の分断国家だった時代、二つの動物園は、ベルリン市民のためのリクリェーション施設というだけではなく、二つの異なった社会体制のステイタス・シンボルだった。


二つの動物園の園長は、政治には無関心であったけれど、自分の動物園を守り、拡充していくためには、政界を上手に利用した。ときには「黒幕」などとささやかれるほどに。
実際には、ともに、家族よりも何よりも、動物や動物園を愛する、熱心でスゴ腕の園長たちだった。
そして、互いをライバル視して、「毎度毎度どっちの方が多いか競争していた――ゾウの頭数の話だが」


巻頭には、主な登場人物(動物園関係者)の表があるが、これがちょっとおもしろい関係図なのだ。左ページは西ドイツ、右ページは東ドイツ、それぞれ大きな枠があり、そのそれぞれの中央には、(西)ベルリン動物園園長ハインツ・ゲオルグ・クレース、(東)ティアパルク園長ハインリヒ・ダーテがいる。両者の間は太い「⇔」で結ばれている。そのまわりには多くの名前(と役職)が散らばる。それらの名前も(時々、東西をまたいで)「→」で結ばれている。「→」は、それぞれの関係を表しているのだ。「→」の脇には小さな文字で「信頼」「不仲」「良好」「評価」「微妙」「友人」…などと記されていて、見ようによっては、恐いような、楽しいような、間違えて足を踏み入れたら厄介そうな……ということが一目瞭然の図になっている。
この図全体が動きに満ちて、ぶるぶるとふるえているようだ。


ティアパルクの広大な敷地を、夕方、飼育員がゾウに乗って、見物人の間を、ゆうゆうゾウ舎に帰っていく。
ベルリン動物園のサルの檻の前で、老婦人がたくさんのろうそくをともしている。何をしているか職員に尋ねられると「今日は○○の誕生日なのよ。ほら、あの子」
汚れたライン川に現れたシロイルカの捕獲作戦の陣頭指揮をとっているのはデュースブルク動物園の園長(であり、ベルリン動物園のクレースの敵役)ゲヴァルト
サイ飼育のエキスパート、ベルリン動物園のヴィーランドは、同僚たちに「オスサイより先にメスサイの発情に気がつく」とからかわれるほどの目利き。
世界の希少動物を、なんとか「市のもう一方のの動物園」にさきがけて手に入れようと画策するベルリンの両園長。
人々のアイドルだったシロクマのクヌート、カバのクナウチュケ、ゴリラのボンゴ……
動物園の動物と人々とを巡るこぼれ話の数々に、笑みがこぼれる。


政治や社会情勢からもっとも離れているように見えてど真ん中の、動物園を仲立ちにして見る、東西の人びとの暮らしは興味深々だった。
東から西へ亡命しようとする人たちのあの手この手の命がけの冒険の話には、はらはらした。
再統一後、「二つはいらない」と言われたモノやそれに関わってきた人々の運命は切なかった。


なんとも生臭い、非情な、と思ったあの話もこの話も、動物園が政治の裏舞台であることの証かな、とさむざむと思う。
ベルリン動物園のクレースの前の園長ハイロンロートに始まり、あの巨頭もこの巨頭も、その業績にもかかわらず、ひとたび用済みになれば、さっさと掃きだされていく。
掃きだし仕事の黒幕もまた、いつのまにか掃きだされる側にまわっていく。