『桜草をのせた汽車 ジリアン・クロス

 

桜草をのせた汽車 (心の児童文学館シリーズ)

桜草をのせた汽車 (心の児童文学館シリーズ)

  • 作者: ジリアンクロス,須賀崇江,安藤紀子
  • 出版社/メーカー: ぬぷん児童図書出版
  • 発売日: 1987/07/20
  • メディア: 単行本
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読み終った……まだ物語の余韻に浸るには早すぎる。前を向くケイトとジェムの姉弟に、私の気持ちはなかなか追いつけない。
でも、待っててね。もうちょっとだけね。もう少ししたら、ちゃんとわたしもあなたたちについていけるはずだからね。

 

1830年、イギリスに初めて鉄道が作られたそうだ。
この物語は1840年代、各地に鉄道が作られていた頃の話。イギリス南部の海辺の町ブライトンの近くのある農村が舞台だ。
それまでよその土地の人に会うことなどほとんどなかった人口四百人ほどの小さな村に、線路を敷く工事のため、千人もの工夫がやってきていた。
逞しい工夫たちの姿、その人数の多さ、そして、暴力事件の噂などから、村の人たちは工夫に対して反感を抱いている。

 

この村の片隅に、16歳のケイト、12歳のジェム、そして赤ちゃんのマーサが、三人だけで住んでいる。
父親は6ヵ月前に、密猟の罪で捕まり囚人としてオーストラリアに送られてしまった。(密猟しなければ食べていけないような貧しい村で、父だけが捕まってしまった)
母親は心労のため、マーサを出産したときに亡くなった。二ヵ月前だった。
ケイトは家の中の仕事と乳飲み子の世話を引き受け、ジェムは、賃金を得るため地元の農家を手伝ったり、姉弟が食べていくためのささやかな畑を作ったりしていた。
晩秋となり、ジェムの請負仕事もなくなり、さて、この冬をどうやって乗り越えようかと途方に暮れていたとき、鉄道の工夫キルケニー・コンが、下宿を探して二人の住まいを訪ねてきた。
コンに部屋を貸し、姉弟の暮らしは救われたのだったが、村での二人の立場は微妙なものになっていく。

 

村人たちの一致団結が恐ろしかった。みんな揃ってどこかの方向に顔を向けたとき、あえて反対の方向に顔を向ける者を、みんなは許さない。
ケイトとジェムは、何も悪いことをしていないのに、色眼鏡で見られ、村八分状態になってしまう。
村の人たちに後ろ指さされないように、とずいぶん気を遣って暮らしてきたケイトとジェムだったのに。
本当は、これまでだって、工夫を憎んで演説する鍜治屋(村の有力者)の言葉が、半分は作り話だということに、ジェムは気がついていた。でも、面と向かっては言えなかったのだ。

この閉塞感のなかで、コンのおおらかさはどんなに頼もしかっただろうか。コンは、読み書きができなかったけれど、叡智といいたいような大きな心を持っていた。

 

まだまだ子どもの姉弟が、あっというまに保護者を失い、いきなり大人にならずにいられなくて、そのうえ、彼らにどんな「成長の物語」が必要だろう、と読み始めた時には思った。
むしろ、彼らを年相応の子どもに戻してやりたいと思ったから。
読み終えて感じるのは、大人・子どもの枠を取り払い、周囲の大多数の大人たちをはるかに超えて、彼らは別の窓を持ったのだ、ということだった。

 

この村に、鉄道がとおる。
コンが言う。
「おまえやおれを運び、小包や手紙を運び、羊や牛を運ぶんだ」
「鉄道は、この国のすみからすみまで人びとを運んでいく」
村の淀んだ空気のなかを風が渡っていくようだ。
もしかしたら、コン自身が、風だったのかもしれない。コンが誇りをもって語っていた鉄道、線路だったのかもしれない。
コンの線路は、姉弟のいる場所から、遠い町や海に続いている。

フィリップ・ターナー フィリップ・ターナー