『ペドロの作文』 アントニオ・スカルメタ(作)/アルフォンソ・ルアーノ

ペドロの作文

ペドロの作文

 

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最近、街じゅうで軍人を見かけるようになった、と9歳のペドロは思う。
そのころから、パパとママは、(時には知り合いも集まって)うんと遠くからくるラジオの放送を聞くようになった。
時には、夕飯の最中にママが声を殺して泣きだすようなこともあった。
例えば、ペドロが、仲間たちとサッカーをしているときに、友人ダニエルのパパが軍人に連れていかれるのを見た日だ。
どうして連れていかれたのか、とペドロが尋ねると、ダニエルは「独裁に反対したから」と答えた。
連れていかれたのはダニエルのパパだけではない。ペドロのクラスには、お父さんをそうやって連れていかれてしまった子どもがほかにもいる。

 

1973年、チリで軍事クーデターが起こり、その後一年間に思想弾圧によって殺害された人々は二万人、15年余り続いた独裁の間の亡命者は人口の10%にあたる100万人ともいわれているそうだ。(本のそでの訳者のことばより)
ペドロを主人公にしたこの絵本は、その時代のおはなしなのだ。
どのページも重たい濁った色が目立つ。人びとの表情はどの顔もみな沈んでいる。笑顔はひとつもない。

 

ペドロのパパとママも独裁に反対だった。
遠くから届くラジオから「軍事独裁政権」という言葉が聞こえてきた。
「ぼくも、独裁に反対ってことになる?」と尋ねるペドロに、ママは答える。
「子どもは子ども。あなたくらいの子は、学校に行って、いっぱい勉強して、遊んで、パパとママのいい子でいたら、それでいいのよ」

 

ある日、教室にひとりの軍人がやってくる。
彼は、ペドルモ将軍のつかいできたロモ大尉、と名乗る。
そうして、みんなに、作文を書いてほしい、というのだ。上手に書けたら、たくさんメダルをあげよう、晴れの式典での旗手もつとめてもらおう、という。
作文の題は『わが家の夜のすごしかた』
「諸君の家では、家族がみんな帰ってからどんなことをするかね。
何の話をしたとか、だれが来たとか、テレビを見てどんなことをいったとか。
なんでもいい、自由に書きなさい」

 

もう、ここからは、恐ろしくて恐ろしくて、隣り合った子ども同士の他愛ない私語さえ、恐ろしくて聞いて(読んで)いられなくて……
この狡猾な課題の意味を、9歳のこどもたちはいったいどのくらいわかっているのだろう。不安で不安でしかたがなかった。

子どもにこんなやり方で、こんな題で、作文を書かせたくない。

 

なかなか書けなかったペドロは、ついに、書きはじめる。
「もし、ぼくがメダルをとったら、それを売っ払って、五号のサッカーボールを買うからね」
と言って。
ペドロはどんな作文を書いたのだろうか……

 

この作品は1970年に書かれたそうです。チリ国内では発表できず、フランスで発表され、やがて英語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語デンマーク語に翻訳され、2003年にはユネスコ児童書賞を受賞したそうです。