『ぼくらが漁師だったころ』 チゴズィエ・オビオマ

ぼくらが漁師だったころ

ぼくらが漁師だったころ


「1991年の一月、兄さんたちとぼくは漁師になった」という「ぼく」ベンは、六人兄弟の四番目。当時は、まだ九歳だった。
一番上の15歳の兄イケンナを筆頭に、四人の兄弟は、禁じられていたオミ・オラ川で釣りを楽しんだ。(「ぼく」の下にも二人の弟妹がいたけれど、まだとても小さくて、半分は母の体の一部のような存在だった)
謹厳な父が単身赴任となって、家にいなくなったことから、一家の規律が少し緩み始めていた。
このころ、川辺で出くわした狂人に、長兄イケンナが不吉な未来を予言されたことがきっかけとなって、一家の運命は変わってしまう。


それは、イケンナの心に巣食った恐怖のせいだ。しかも、その恐怖には、実体がない。ちょこっと撒かれた小さな種を大きくそだてたのは、他ならぬ自分自身だ。
「恐怖のせいで幸福と健康と信仰が失われてしまい、さらに人間関係もが壊れてしまった。ぼくら兄弟とのもっとも親密な関係さえも」
恐怖は憎しみを生み、敵を作る。
「憎しみは蛭だ。
人の皮膚にくっついて栄養を吸い上げ、精神から活力を奪う。人をすっかり変えて、最後の一滴の平穏を吸い尽くすまで離れない。憎しみは蛭のように肌に吸い付き、表皮にどんどん食い込んでいくので、皮膚から引き剥がそうとするとその部分の肉を傷つける。憎しみを殺すことは自虐行為なのだ」
恐怖は、何て簡単に、人を支配し、別のものに変えてしまうのだろう。


嵐のように、恐怖と憎しみが吹き荒れる。
その時々の「ぼく」の回想は、すべてが始まる前の兄たちのことだ。私は一緒にふりかえる。
兄は「ぼく」にとってほとんど英雄みたいなものだったじゃないか。そして、四人、なんて素敵なチームだっただろう。
こんなに簡単に、何もかもがかわってしまうのか。
どうして元に戻ることができないのだろう。一体この嵐はどこまでいったら止むのだろう。
「ぼく」は、踏みとどまろうとする。とどまりたいと思うが、できない。そして、巻き込まれていく。「ぼく」の葛藤があまりにリアルで、しかもごく普通の(と思っていた)判断力さえも奪われていく姿が、ひたすら恐ろしかった。


訳者あとがきによれば、この物語は「普遍的な家族の絆とその崩壊の物語」であり、同時に「ナイジェリアという国が抱える、政治的、経済的、社会的なさまざまな矛盾が意識的に、しかも巧みに描かれている」という。
ナイジェリアだけじゃないような気がする・・・
読みながら、私が思いだしていたのは、ガエル・ファイユ『ちいさな国で』のなかで、子どもたちの諍い・憎しみあいが、相手への恐怖から始まった、と書かれた箇所。
それから、ゲーリングのこの言葉(クラウス・コルドン『ベルリン1945』の「あとがき」からの孫引きです)
「国民に参政権があろうとなかろうと、指導者の命令に従うよう仕向けることはいつでも可能だ。それは至極簡単なことだ。攻撃されたと国民に伝え、平和主義者のことを愛国心に欠けると非難し、平和主義が国を危うくしていると主張すれば事はすむ。この方法はどんな国でも有効だ。」
イケンナに与えられた予言(?)、イケンナに起こったこと、そして、そこから始まったことども・・・「ぼく」の葛藤と苦しみ・・・
この一家に起こったことがわたしには他人事に思えなかった。