『ぴいちゃあしゃん』 乙骨淑子

乙骨淑子の本 (第1巻) ぴいちゃあしゃん

乙骨淑子の本 (第1巻) ぴいちゃあしゃん


杉田隆は、16歳で通信兵となり、長野から中国へ渡ることになった。
故郷の山、みずかき山を見ながら思う。「おれはこの山のように、堂々と中国大陸をかけまわろう。……おれは、せいいっぱい働くぞ」
しかし、隆を待っていたのは、日本にいた時に教えられてきたのとは全く違う中国・中国人たちの姿だった。
この戦争が、中国人を開放する戦争であると信じていた隆に、中国の人たちは冷ややかな顔を向ける。
イギリスが中国にアヘンを売りつけていた、と思っていた隆だったが(私もそうだった!)、満州国は日本がアヘンを売り買いした利益でつくられたことを知る。


次々に見えてくる現実に、一途な隆は戸惑い、怒り、考える。
物語前半は、仲間たちの友情、上官たちの不正を暴く冒険など、はらはらしながらも楽しんで読んでいられた。
しかし、後半、隆の所属する日本軍は、どんどん追いつめられていく。
最後の方は眼を離せない、一気読み、という物語ならよいのだけれど、この本は、最後のあとちょっとのところで、前へ進めなくなってしまった。
ページを追うごとに、次は何が起こるのだろう、次は何が消えるのだろう、と・・・
ああ、このままページをめくらなければ、もうこれ以上何も起こらないのではないか。
いやいや、そういうわけにはいかない。
そんな加減のところで納得してはいけないのだよ、しっかり目を見開いてみておきなさい、と、物語が誘いかけてくる。


ぴいちゃあしゃん、というのは、山の名前だ。筆架山、と書くそうだ。ひとつひとつの峰が、筆のように直立している高く険しい山。
隆は中国で初めてこの山をみたときに、故郷のみずかき山によく似ていると、懐かしく感じた。
この山は隆の行く先々、いつも隆とともにあった。
そして、その時々で、この山に寄せる思い、見え方が違っていた。
故郷の山に似ていると思ったぴいちゃあしゃんだったが、あるときには、
「もう、みずかき山に似ているなつかしい山とはみえなかった。どんな、あたたかなふれあいにも、心の窓を開こうとしない山」であり、
あるときには、
「なあんだ。とおくからみると、びくともしないようにみえても、こんなところもあるんだな」と親しみを感じさせる一面を見たような気にさせる。
隆が見る「ぴいちゃあしゃん」は、隆たちに対する中国人たちの姿勢のようでもある。


巻末の鶴見俊輔「解説」が素晴らしい。
主人公の隆によりそって、
「たたかっている相手に対して、敬意をもちたいと、この少年は感じている。それは、不幸にして戦争にまきこまれた時に、人間がもちうる最低の義務だと私は思うが、それをもち得たものは、当時の日本人の間には少なかった」
との言葉に、どきっとした。「当時の日本人の間には」なのか。では、この時代から70年以上過ぎた今(この作品が書かれてからでさえ半世紀も過ぎている今)は?
作者は、戦時の皇国少女だった。やがて、占領下の進歩的左翼思想で政治を捉えるが、やがてそこを離れ、市民としての抵抗運動へと向かっていったそうである。
この物語の主人公には、作者の父・村谷壮平が影をおとしている、という。少年となった父の不思議。
「文学には、実人生に許されていない、そのような再生のはたらきがある」という言葉が心に沁みてくる。


中国人の名前が、この物語にはたくさんでてきた。
イェン・ユイ、ルー・ホー、ソン・レイ、アシェン・・・いまや懐かしく感じるこれらの人びとの名前。
同じ外国の名前であっても、アーサーやヘルマン、などというのに比べて、わたしには、最後まで覚えにくい名前だった。
中国が自分にとっていかに遠い国であったか、と情けない気持ちでいる。


1964年の作品。