『あたしのクオレ(上下)』 ビアンカ・ピッツォルノ

あたしのクオレ(上) (岩波少年文庫)

あたしのクオレ(上) (岩波少年文庫)

あたしのクオレ(下) (岩波少年文庫)

あたしのクオレ(下) (岩波少年文庫)


第二次世界大戦が終わったばかりのイタリアでは、小学校は(公立でも)男女別学で、飛び級も留年もあった。小学校なのに、停学や退学まであった。
聖エウフェミア小学校四年D組の仲良し三人組プリスカ、エリザ、ロザルバの一年間の物語です・・・というと、とっても楽しいお話を想像するのであるが、そうはいかない。
なぜなら、この年、彼女たちを受け持ったのが、スフォルツァ先生だったから。
前任校では厳しい指導が売りで、担任した四年生のクラス全員を飛び級させ、中学校の入学試験合格に導いた先生。親たちは絶大な期待を持って迎える。
しかし、子どもたちには(「ご機嫌取り」「猫かぶり」グループ以外?)地獄のような一年間が待っていたのだ。


クラスには、さまざまな家庭から子どもたちが集まっている。
大地主の娘もいるし、極貧の家庭に育ち、何度も落第して四年生に在籍しているような子もいる。
けれども、スフォルツァ先生の目には、町の名士の娘しか見えないようだ。


感受性の鋭いプリスカは、スフォルツァ先生の残酷で不公平なやり方を見聞きするたび、何度も隣の席のエリザに「聞いてよ」と激しく打つ心臓の音を聞かせた。
この先生のことを手っ取り早く知りたいと思うなら、先生が持っている、このクラスの座席表を見ればよい。
先生は、子どもの名前の横に、こっそりと親の職業を書き入れているのだ。地主、判事、弁護士、医師・・・八百屋、洋裁師、用務員。そして最も貧しい二人の少女については、その名前さえも記されてはいない。


ついに我慢の限界を迎えた三人は、なんとかスフォルツァ先生をとっちめてやりたいと思う。
当時の子どもが、先生を批判するということは大変なことだった。まして先生相手に戦いを挑むなんて周囲の大人に受け入れられるわけがなかった。
それで、いろいろと作戦を立てる必要があるのだ。
繰り出される様々な作戦は、大人から見たら、案外直球で、ほほえましいくらいに嫌みがない。(正直、本のこちら側から、少女たちに「生ぬるい!」と叱咤激励したい気分でした)
相手はしぶとくて狡猾だった・・・


読みながら、印象に残ったこと。
ある日、学校のの外でスフォルツァ先生を見かけたとき、プリスカの頭に一つの考えが浮かぶ。「ひょっとすると、先生自身がごきげんとりなのかもしれない」
子ども時代には、絶対的な存在だった大人。その絶対が崩れ、大人もこどもも、同じ人間なのだ、ということにプリスカは気がついた。大切な瞬間だったと思う。


もうひとつ印象に残るのは、先生が保護者会を開いて、「飛び級」について、親たちに説明する場面。
飛び級すれば、子どもは一年得をする」と言う親たちのなかで、エリザの叔父のレオポルドは言う。
「ぼくには損をするようにしか思えません。小学校の五年生を経験できないわけですから」「子ども時代が一年、短くなります」
レオポルドおじさんの考える「子ども時代」が好きだ。このおじさんに育てられたエリザが羨ましいな。


各章と章の間には、プリスカによる創作童話が挟み込まれている。その章(時期)の中で起こった出来事を題材にして、ユーモラスなおとぎ話に仕立てている。これがとってもおもしろい。
読み手には、楽しい章ごとの振り返りでもあるが、心動かされるのは、子どもが、不快な現実を乗り越えるための手段として、体験したことを物語にしたててしまう、その逞しい想像力と筆力だ。
プリスカの将来の夢は、作家。きっとなれるよ。自分の子ども時代を題材にした作品で有名な作家になるよ。