『至福の烙印』 クラウス・メルツ

至福の烙印 (エクス・リブリス)

至福の烙印 (エクス・リブリス)


『ヤーコプは眠っている 本来なら長編小説』
『ペーター・タイラーの失踪 物語』
『アルゼンチン人 短編小説』
の三篇が収録されている。


どの物語も、まずは死を透かして人生を眺めているような感じ。生は、死と死の間の束の間のつなぎのよう。
けれども、訳者あとがきに書かれている「重いテーマを扱いながら、どこか軽やかでときに可笑しく、慎ましくも祝祭的な瞬間がここかしこに立ち上がる」の、「祝祭」という言葉が、この三つの物語には、なんと相応しく思えることか。


三作とも、スケッチのような短い散文を、順不同に(というわけではないに決まっているが)括って一つの物語を作り上げている。
瞬間瞬間のスケッチをたくさん見たような感じだ。



ことに『ヤーコプは眠っている』は、とても好き。
作者の自伝的な作品であるそうだが、作者は、遠いところから、これらの日々を俯瞰しているように感じる。
起こったことや感じたことを遠景にして、水をたっぶり含んだ筆でさらりと掃いたようなイメージ。
悲しみや絶望も、喜びも、戸惑いも、恥じらいも、みんな淡い色彩が滲んだように混じりあっている。


洗礼を受ける前に「名無し」のまま死んだ兄ヤーコプがいる。
癲癇もちの父、鬱症の母、変人の叔父、そして、水頭症の弟。彼らもやがて死んでいくのだが、物語に陰鬱な感じはない。
日々の描写の一つ一つがなんとも素朴で愛おしい。
家族の誰もが、少しばかり変で、その変さのせいで家族はそれぞれ迷惑をかけあっているように見える。
水頭症の弟が生まれた日の病室の絶望的な空気。
バイクの事故で負った深い傷。
父の癲癇の発作、母の入退院。
従妹ソーニャの早すぎる結婚と死。
生活は重苦しい事柄に満ちている。
でも、同じ重さで語られる別のものが、これらの日々に噛み合っているのだ。
後頭部に二つの穴を持つ弟の心臓の音を、逆光のなかで「二拍子だよ」と言うこと。
冬の夜、オリオンのベルトに両親と弟を座らせるイメージ。


「こんなふうに誰もが自分の補助エンジンを持っていた
この装置のおかげでぼくたちは生きられた」
弟の頭蓋の穴を指しての言葉だが、家族は、いろいろな形で「補助エンジン」を持ってなんとか日々をしのいでいたのだろう。


水頭症の弟を、一番最初に「太陽」と呼んだのは変人の叔父。以来、この子は家族の太陽になる。
物語のなかで、「太陽は・・・」と語られるのは、この子のことだ。
太陽があるなら、月もあるはず。名を付けられる前に死んでしまった小さなヤーコプは月。
見える太陽と、見えない月が、痛みを伴いながらも灯りになって、この家族とともにいる。