『引き潮』  R・L・スティーヴンスン/L・オズボーン

引き潮

引き潮


主要人物が「第一章 三重奏」では三人、「第四章 四重奏」では、一人加わって四人。その誰もが胡散臭くて、全然共感できない連中。
彼ら、場面と状況によってころころ人格が変わり、まるで信頼できない。そのおかげで、これからいったい何が起こるのか、全然予想できないから、続きが気になって気になって本を置くことができません。
浮輪一個持たされて、大海に放り出されたような読書。とりあえず、岸を探して夢中で泳ぎました。


それぞれに情けない過去を持つ男たちが三人、落ちぶれてタヒチの浜辺でたむろする。もう飢えて死ぬしかない、というときに、一人の男が陰謀を企てる。
彼ら、商船を乗っ取って南米へ逃げ、人生の巻き返しを図ろうとするが……。
悪い奴らである。
しかし、計画的であるかと思えばあきれるほどに大雑把。
怖ろしいことも平気でやってしまうのだけれど、ちらちらとへんてこな善良さが顔を出す。
くすっと笑わせるようなユーモラスな一面もあるかと思えば、一方で、つかめない不気味さを漂わせる。
海の上では思わぬハプニングの連続。どこかで別の誰かが笑っているようないやあな感じもするし。
でも、それよりなにより、登場人物を信頼できない、ということは、こんなにも不安にさせられるものなのだね。
考えようによっては、一筋縄ではいかない人のほうが人間味があるのだと思う。でも、こうまで極端だと……


巻頭の言葉は
「――人の営みには潮の満ち引きがある」
潮の満ち引きがあるのは、彼ら三人(四人)の性格もそう。――表に表れる性格も、その時々で、強く表れたり、遠のいたり。
そして、その表に表れたものが、「運」の満ち引きを招くのだろう。


彼らがたどりつくのはどこの港だろう。そもそも、満ちたり引いたりする潮が、本当にたどり着くところなんてあるのだろうか。


✳︎
この本が、ロバート・ルイス・スティーブンスンと義理の息子ロイド・オズボーンの合作ということにも興味を持ちました。
『宝島』に添えられた、スティーブンスンからロイドへの素敵な献辞を思い出します。
アメリカの紳士 ロイド・オズボーンに
きみの高尚な趣味に合わせて この物語は書かれましたが、
おかげでかずかずの楽しい時を過ごせたお礼に、
こころからの感謝の思いをこめて、いま、この作品をきみにささげます。
     親しい友である 作者より」  (坂井 晴彦 訳 『宝島』福音館文庫より)