『死都ブリュージュ』 ジョルジュ・ローデンバック

死都ブリュージュ (岩波文庫)

死都ブリュージュ (岩波文庫)


この本、絵物語と呼ぶべきかと思うほど、ふんだんな風景写真が添えられている。
ブリュージュは灰色の町だ、と物語のなかで男やもめユーグは言うけれど、写真でみるかぎり、水路が多く、教会や高い鐘楼が美しい。水に映った家々や木々の鮮やかな色彩が目に浮かぶような気がする、生き生きとした街ではないか。
けれども、最後まで読み終えたときに改めて町を眺めれば、鐘楼を墓標とした広大な墓場のようだった。意志を持って自らすすんで墓場になることを欲した墓場のようだった。


『はしがき』で、作者は言う。
「この情熱研究の書において、ともかく私はとりわけ一つの「都市」を呼び起こしたいと思った。人々の精神状態と結ばりあい、忠告し、行為を思いとどまらせ、決心させる一人の主要人物のような「都市」を。」
この言葉に頷きつつも、主要人物であるブリュージュの石のように断固とした正義が、少し怖い。


男やもめユーグ・・・決して彼を弁護したいわけではない(全然したくない)のだけれど、気になる人物。
若くして妻に先立たれたユーグは、自分の悲しみに同調するようなこの町ブリュージュに引っ越してきた。亡き妻を思って引きこもって暮らして五年目のある日、妻に瓜二つの女に出会い、どんどん惹かれ、どんどん入ってはならない深みへ嵌っていくような感じだ。
「まだ引き返せる、まだ大した深みとは言えない」と言いながら、ここまで来てしまった、というような・・・
どこかで感じたことがあるような、怖ろしくて気持ちの悪いものをずっと感じていた。いったいどこで引き返したらよかったのだろう。


ユーグの愛人となる女がまた…あまりに典型的な悪女ぶり。
そして、振り回されるユーグは喜劇役者のようだ。
信仰篤い人びとの祈りの声が聞こえる、鐘の音が高い塔から響く「悲しみの町」では、とんだ茶番劇と感じる。


外見はよく似た二人の女だが、その中身は、貞淑と不貞、聖と邪、光と影のように、相反する存在だ。
・・・しかし、あるいは、こう言えるかもしれない。静と動。死と命。
身持ちのよい妻よりも、あばずれの愛人のほうがいきいきしているようにも思えるのだもの(かたや生きているのだし)
相反する二つの存在は最後には同化していた、というが、これは・・・


私は、ユーグが思い描く亡き妻の姿が鬱陶しくて仕方がなかったのだ。貞淑を絵に描いたような姿は、一人の女性を形容するにはあまりに薄っぺらく思えた。
この男は、自分が好ましく思う狭い部分以外の妻の姿を拒否していたのではないかと思った。
貞淑な妻の姿とは真逆の愛人の姿は、もしかしたら、亡き妻のもう一つの(決してユーグに認められることのなかった)一面のようにも思えるのだ。
最後に妻と愛人、二つの存在が同化していた、というのは、この男の愛するものが、ここでやっと一つの完全体になったようにも思えた。
・・・しかし、ユーグが愛人となる女ジャーヌと出会ったのは、ブリュージュの町の中なのだ。
この町を人格を持ったものと考えるならば、ジャーヌを彼に紹介したのは、ブリュージュ君、ということかも。ブリュージュ、灰色の町だって? なんと複雑な色合いの灰色だろう。