『100時間の夜』 アンナ・ウォルツ

100時間の夜 (文学の森)

100時間の夜 (文学の森)


オランダのスキポール空港から、エミリアは、ニューヨークへ家出するところだ。
家族のスキャンダルが、ネット上で広がり、炎上する。彼女は、膨大な無責任な中傷にさらされて、ぼろぼろだったのだ。
オランダからニューヨークに14歳の少女がひとりで渡るための様々な問題をクリアすべく彼女は周到な準備をしてきたし、ネットの情報は嘘ばかりだということも認識している。
でも、少女の賢さは、とてもバランスが悪い。賢さの足元に、用心深さの足元に、大きな穴があいていて、傾いたまま立って歩いているようで、はらはらする。
そうして、ほら、渡航先のニューヨークで、いきなり足をすくわれることになる・・・


ニューヨークで、17歳から9歳までの四人の少年少女が出会い、俄かな共同生活を始める。
彼ら、それぞれに事情があり、肉親と今は離れている。
知り合ってみれば、おいおいにわかってくることがある。
彼らがそれぞれに抱えた問題。見えているようでなにも見えていない(あるいはあえて見ることを拒んでいるものがある)ことは、それぞれに共通している。そして、そこに囚われて、身動きもできなくなっていること。


おりしもニューヨークは、巨大ハリケーンに襲われる。
2012年10月29日、ニューヨークはハリケーン・サンディに襲われ、多くの命が奪われたのだ。
サンディは、ニューヨークの八百万戸を停電させ、数日間を闇の中に置き去りにする。
エミリアを始めとした四人の少年少女たちが身を寄せる「家」は、この八百万戸のうちにあった。
わずか数ブロック先には電気があるというのに、この地域はすっぽりと野蛮な夜の中に閉じ込められている。
彼ら、真の闇の夜、水も出ず、暖房もない部屋で過ごし、
昼間はひたすらに町を歩くのだ。
チップス、充電器、ミネラルウォーターをバッグに入れて。
電気がない町を歩くことは、サバイバルだ。
四人は冒険者だ。
闇は、彼らを閉じ込める、と同時に、彼らの前で、世界を果てしない広がりに変える。
見知っているはずなのに見知らぬ町に、彼らは、かたまってそろそろと踏み出す。
自分たちを「夜族」と呼ぶかれらの彷徨に感じる高揚感は何だろう。


「先に生きてた人たちがたまたま発見したものを、どうして私たちがなんでも使わなくちゃいけないの?」とエミリアは言う。
なくても生きていけるものを、なければ生きていけないようにさせられている暮らしは窮屈だ。僅かな便利さとともに差し出されるのは大きな不安。
否応なしにそうしたものをまるごとなくした時に感じる爽快感 (多くの命が奪われたこの時に味わうことに複雑な思いはあるが)
この爽快感は外側の物質的なものだけではなく、内側にも浸透してくるようだ。


100時間の夜。
町に電気が戻るまでに、若者たちは、何を失い、何を得たのか。
それぞれに戻らなければならない場所もあり、同時に踏み出さなければならない場所もある。
いま、ここに100時間の夜があったこと、四人が出会ったことを、幸せだったと思いつつ、本を閉じる。