『職業としての小説家』 村上春樹

職業としての小説家 (Switch library)

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村上春樹の作品を読んでみたい、と思っていたけれど、いったいどこから手をつけたらいいのかわからなかった。
だから、半生、小説を書くこと、作品やその周辺について語ったこのエッセイは、私には、ありがたい村上春樹の入り口だった。


読んでいて、なんて自由な人だろうと感じた。
この自由さは、高校時代の語学との付き合い方に、もう始まっていたようだ。
高校時代に著者は洋書をどんどん読んでいたそうだ。楽しみながら。
しかし、大学受験で高い点数を取ることを目的とした進学校では、それは、良い成績には結びつかなかった。
大学受験を見据えて、ほとんどの同級生たちが夢中で机に向かっていたときに、生きた英語と戯れていた著者は、やはり稀有な存在だったのだろうと思う。


「言語というものはもともとタフなものです。誰にどんなふうに荒っぽく扱われようと、その自律性が失われるようなことはまずありません」
との言葉から、テレビなどに出てくる政治家の言葉のご都合主義的な使い方、軽さをふと思い出した。
それは、村上春樹のいう「タフ」「荒っぽい扱い」とは、似ているようで、行って帰ってくるほどの違いがあることに気がつく。
「言葉」を生き物としてあつかう作家と、「言葉」を(使い捨てられる)道具としてしか見ることのできない人の違いなのだ、と思う。
「言語は生きているものです。人間も生きているものです」という言葉が心に残った。


小説を書く、とはどういうことなのだろうか。
映画『E.T.』で、E.T.が物置のがらくたをひっかき集めて、それで即席の通信装置(何千光年と離れた母星と連絡をとれる通信機)を作ってしまう場面をあげて、優れた小説とはああいう風にしてできるんでしょうね、との言葉に、なるほどと思った。
がらくた、というけれど、見る目を持った人には、きっと宝の山なのだろう。
そこに、小説家はマジックを使い、驚くような装置を作り上げてしまう。
マジックって何だろう。
「想像力」という言葉が浮かび上がってくる。
(「想像力の対極の一つにあるものが「効率」です」という言葉とともに。)


そして、
「世界はつまらなそうに見えて、実に多くの魅力的な、謎めいた原石に満ちています。小説家というのは、それを見出す目を持ち合わせた人々のことです。」
…それを分けてもらう読者であることは、幸せなことだと思う。
私は、もっともっと本が読みたい。