『子らと妻を骨にして ―原爆でうばわれた幸せな家族の記憶』 奈華よしこ, 松尾あつゆき, 平田周

子らと妻を骨にして―原爆でうばわれた幸せな家族の記憶 (KanKanComics)

子らと妻を骨にして―原爆でうばわれた幸せな家族の記憶 (KanKanComics)

  • 作者: 奈華よしこ,松尾あつゆき,平田周
  • 出版社/メーカー: 書肆侃侃房
  • 発売日: 2017/08/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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平田周さんは、俳人である祖父・松尾あつゆきに、かわいがられた記憶がなく、祖父が笑った顔も見たことがなかったそうだ。
祖父が残した30冊の日記を読み、祖父がなぜ笑わなくなったのか、しだいにわかってきた、という。
祖父の日記・俳句とともに、祖父の人生を振り返っていく。


長崎に原爆が落とされて、松尾あつゆきは、妻と三人の子を失う。
目の前で死んでいく子をどうすることもできずに見守った事、正気を失い苦しんで死んでいった妻を看取ったこと.
トタン板の上で焼かれた三人の子の骨はわずかだったそうだ。
体格のよい妻を火葬にするには、何度も木をつぎ足さなければならなかったそうだ。
骨壺は植木鉢だった。三人の子の骨が一緒に入った鉢と、妻の鉢とが並ぶ。
そのあげくの「終戦詔書」は信じたくなかった。「それならなぜもっと早く降伏しない!」―慟哭だった。

「降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾(さか)りつ」 (あつゆき句)


戦争の終わりは、原爆から生還した人たちの新しい苦しみの始まりでもあった。
職を失い、ただ一人生き残った長女を生かそう、死ぬのであれば二人一緒、の思いの看護の日々。
夜、亡くなった妻子に会える夢を見ることだけが楽しみだったという。


生きのこった松尾あつゆきの長女・みち子が平田周さんの母である。
みち子も手記を書いていた。
みち子の手記は、あつゆきの日記と、出来事が被る。しかし、その思いは、二人、ずいぶん違う。
亡くなった家族のことばかり話す父に、自分は生きていていいのかと、自問する。父にすなおになれないこともあった。
原爆は、家族の命を奪い、生き残った家族からも、大切なものを奪いとっていく。


取り上げられている俳句は、どれも、胸つかれるようなものばかり。その中で、いつまでも忘れられないのは、

「光が雪の雫が、此子ゆき子と名づけようかとも」
これは末っ子のゆき子の誕生に、詠まれた句。1945年1月24日。
新しい命への慈しみや祈りが込められた句と思う。
弾むような、それでいて、しんと心静まるような美しい句。
そのようにして、この世にやってきた命は、しかし、わずか七カ月後に無残に奪われる。
長崎原爆の死者は7万4909人。この数字の一つ一つが、光や雪の雫に祝福された命なのだ。
起こった恐ろしいことから振り返ってみれば、この句の美しさが、あまりにも悲しい。


最後にひとつ、平田周さんの句が置かれる。
消えてしまった家族一人ひとりの記憶が、今、松尾あつゆきの孫によって蘇り、家族が(新しい家族もともに)結びつけられるようだ。
そして、子から子へ。さらにその先へ。

「つながれた命、娘が手を合わせている」