『猫の手、貸します 〜猫の手屋繁盛期』 かたやま和華


お江戸日本橋、長谷川町三光稲荷並びの三日月長屋にて、猫の手屋を営む近山宗太郎は、もともと直参旗本の嫡男である。
事情あって、姿が猫に変わってしまったため、長屋の裏店暮らしをするようになる。
猫の手屋とは、一種の便利屋。「猫の手貸してくれ」と頼まれれば、お節介と紙一重の気軽さで、引き受けて暮らしている。
長屋の人たちには「人に化ける修行中の猫先生」と親しまれるが、逆だ。人の姿に戻るために善行を積まなければならない身の上の宗太郎なのだ。


そもそも、人間の背丈のねこが袴をはいて二足歩行し、ヒトの言葉を話すのだ。
もともと人であるはずなのに、この姿になった途端に、食べ物の好みが変わり、癖まで変わる。(長い舌で濡れた鼻の頭をなめる横顔を想像しては笑っている。)
こんなとんでもないことが身近に起きたというのに、人々の受け入れがあまりに大らかだもので、肩すかしされたみたいだが、それがこの長屋の良さであるだろうか、ね。


・・・それぞれに事情があるのだ。それは猫先生だけではない。
そこを下手に詮索しない・されないで、みんな暮らしている。
すこし煩わしくて、気持ちのよいお節介が飛び交うこの界隈は確かに住み心地がよさそうだ。
(そんなことより、その気持ちよさそうな耳さわらせろ、肉球の匂いをかがせろ。)


ちゃきちゃきした江戸っ子の下町言葉がぽんぽん。朴念仁の宗太郎のかた苦しい武家言葉が、一拍置いてかえってくる。
その独特の会話のリズムの楽しいこと。


短編三つ。
ささやかな事件が、ほのぼのと起こり、ほのぼのと納まる。
ささやかなのが良いです。