『知らなかった、ぼくらの戦争』 アーサー・ビナード(編著)

知らなかった、ぼくらの戦争

知らなかった、ぼくらの戦争


この本は、2015年4月〜2016年3月に放送された文化放送アーサー・ビナード『探しています』」のうち、23名の戦争体験を採録し、加筆修正をして再構成したもの。
戦争体験者、といっても、それぞれの立場も、その当時にいた場所もさまざま。
一人一人の体験に寄り添い、言葉に真剣に向き合うビナードさんの解説が、二十三名の方たちの体験を、読者である私に、しっかりと結び付けていく。
一人分のインタビューを読むたびに、ビナードさんに、「考えなさい」と揺さぶられているようだ。
それをどう聞くのか、なぜそういうことになるのか、それはどういう意図があるのか…

まず、戦勝国の政府も、敗戦国の政府も、なんてよく似ているのだろう、と感じた。
政府にとって、自国民は、道具、消耗品に過ぎなかった。それが、敵の存在よりも、ずっと、おそろしかった。仮にも「私たち」の政府であるなら、「私たち」を守るだろう(せめて、そのように努めるだろう)と思っていただけに。
政府は、国民を道具として、使いやすくするために(ただそれだけのために)手段を選ばなかったし、惜しみなくあらゆる場所・方法で使い、使い捨てた。
それを、23の形で、いやってほど思い知らされる。

日本の美しい言葉、響きの良い言葉は、時に、物事の本質をごまかすことに使われる。
たとえば、玉砕、散る、という言葉。軍艦につけられた名は、和歌からとったかと思うような雅なもの。
ビナードさんは、その言葉に隠された真意を鋭くあばいていく。
言葉を大切にする、とはどういうことだろうと、ふと思う。
なにも考えずに普段、使っている言葉をつきつめれば、怖いもの、汚いものは、きっとたくさん出てくる。

戦争が終わり、教科書は、黒く塗られた。
「不都合な記述を読めなくして、つじつまが合わない話を消し去り、ごまかしてストーリーを無理やりつなげるというやり方だ」とビナードさんは書く。
「黒く塗る」という言葉はとても象徴的だ。
やたら「けじめをつけ」たがる政府のもと、太平洋戦争の一部・「大きな流れの中で戦争にのっていく」ことは、いまも、私たちの胸の内でずっと続いているように思い、ぞっとした。
「あとがき」のなかで引用された詩人エドナ・セントビンセント・メリーの言葉「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」との言葉が、沁みてきます。