『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』 ブレイディみかこ


正直に言えば最初、ガキ、ガキって、その言葉が不快だと思ったのだ。上を向いて、きれいなお空を見上げて、お気楽にそう思った。
「あんたたちは駄目なのよ。駄目なのよ。駄目なのよ。
 の、先にあるもの。
 そこで終わらない、そこで終わらせることができない何か」
と著者は書く。見上げてばかりいたら、決して見えないはるかな高みを、足元のもっと深いところに、見つけている。
「ふと見下ろせば、手足を思い切り伸ばして大の字になった子どもたちの姿は、地べたに落ちてきた星々のようだった。」


英国、ブライトンのアンダークラス(階級社会の末端にさえ組み込まれない最下層)や移住者の子どもを預かる無料の託児所で、著者は七年前にボランティアとして働き始める。
その後、ブランクを経て(ミドルクラスの保育園で保育士として働いたあと)再び、保育士としてこの底辺託児所に戻ってくる。
現政権の推し進める緊縮政策のあおりを受けて、今にも潰れそうなこの託児所を、著者は、皮肉をこめて緊縮託児所と呼ぶ。


「政治が変わると社会がどう変わるかは、最も低い場所を見るとよくわかる」と著者は言う。
「底辺託児所と緊縮託児所は地べたとポリティクスを繋ぐ場所である」と著者はいう。


「英国民がいかに底辺層を侮辱し、非人間的に扱っているか、そしてそれが許容されているか」
末端の底辺託児所においてさえ、アンダークラスの親たちは移民を差別するのだ。
年を経て、アンダークラスの子どもよりも、移民の子どもの方が多くなると、今度は移民の親たちが、英国人アンダークラスを差別するようになる。


国の政策・方針が変わる。左から右に揺れる大きな振り子みたい。
「(経済の転換により犠牲になる人々を)国畜として飼う」という言葉がでてくるけれど、振り子の先っぽ(下の階層)に行けば行くほど、人間は確かに家畜並みの扱いしかされていないのだな、と感じる。
人々は、有無を言う暇もなく、大きな振り幅に、滅茶苦茶に翻弄されているようだ。


「どんなプアでも、過去より未来の方がよくなるんだと信じられる人々の方が幸福度は高い。でも、それがこんな年齢層の子どもたちにまで当てはまるとは……」
「格差というのはあってしかるべきもの。金持ちと貧乏人はどの世界にもいる。間違っているのは、下層階級の人間がそこから飛び出す可能性を与えられていない社会だ」
著者の仲間たちの言葉を読みながら、息苦しくなってくる、閉塞感で。海を隔てた英国と、「地べた」がつながっているようで。
英国の地べたから、日本の地べたが眺められるような気がするのだ。
暗澹たる、なんて言葉さえも気楽な言葉に思える。


託児所の子どもを巡る状況は、悪くなっていく一方。
潰れかけた緊縮託児所はやがて、フードバンクにとって代わる。
地べたでは、いまや、託児よりも、今日・今を生き延びるための食べ物を確保することが先、ということか。
託児所がフードバンクになってしまったことは、保育士にとって「負け」なのか。


でも、こんな風にも思う。
どんどん悪い状況に落ち込んでいく、末端のさらに末端にいる子どもたちを、なんとか引き上げようとする人々がいる事はやはり救いではないだろうか。どんな形であれ。
綱引きの綱を持って踏ん張ろうとする人々がずるずると引き摺られていく様を思い浮かべるが、落ちてもなお、落ちきる前に支えようとする人々の踏ん張りも見える。
そのむこうに、「時代が変われば(託児所は)復活する」と笑う保育士たち――底辺の「凶暴なガキども」を支えてきた保育士たちがいることは。