『ヒルベルという子がいた』 ペーター・ヘルトリング

ヒルベルという子がいた (偕成社文庫)

ヒルベルという子がいた (偕成社文庫)


町はずれにあるこのホームは、行き場のない子どもたちが、「つぎのゆくさきがきまるまで、とりあえず入れられている施設」だった。子どもたちが別の施設にひきとられるまでの一時的なこのホームに、ヒルベルはずっといる。
彼には引き取り手がいなかったし、そもそも彼に関わる大人たちは、彼の事をどうしたらいいかわからなかったのだ。


ヒルベルは病気だった。物心ついたときからずっと頭痛に悩まされていた。
頭が痛みだすと、むしょうにはらがたって、もうなにがなんだかわからなくなるのだった。
彼を診察した医師は、ヒルベルの病気はなおらない、といった。頭痛はどんどん進み、そのうちずっと病院で暮らさなければならなくなると。


ヒルベルは美しい声で歌をうたった。けれども、気が向かなければ絶対に歌わなかった。
ヒルベルは話すことが苦手だった。
ヒルベルは力が強かった。
ヒルベルは決して「ばか」ではなかった。


ヒルベルを嫌う人たちはたくさんいた。
ヒルベルを憎む施設の管理人ショッペンシュテッヒャーさんとの攻防を見れば、ヒルベルの賢さがわかる。
面白おかしく描かれていて、思わず微笑んでしまうけれど、どうして、子どもが、大人から理由のない憎しみを浴びせかけられ続けなければならないのだろう。


ヒルベルの突発的(にみえる)行動を、大人たちは「発作」と呼んだ。
でも、ヒルベル本人にしてみれば、彼なりの理由があったのだ。
「発作」という言葉ですべてを理解しようとする大人に感じるのは、この子どもに対する「無関心」だ。


河合隼雄さんは言う。
「何もかもわかり切っていて、常識通りに運んでいるように見えるこの世界に、ヒルベルの存在を許すやいなや、われわれはすべてのものが異なって見えてくることを感じるであろう。ヒルベルにいったい何ができるのか、などということをわれわれは思いなやむ必要などないのである。ヒルベルが、ただそこにいてくれるということ、そのことが計り知れない意味をわれわれにもたらすのである。」


ヒルベルがいた日々の、たくさんの思い出の中から、特に心に残る場面をひろってみる。
ヒルベルは、施設を抜け出して羊の群れの中にまじっていたことがあった。彼は、ヒツジを「ライオン」と呼び、話す。「…ライオンのいる、砂漠なんだ。そしたら、ライオンがやってきた。百万頭も。いっぱいかたまりになって。犬も。(中略)いいライオンばっかりだった。たのしかったなあ」
ヒルベルはカロルス医師に語る。「ぼく遠くへいきたい。遠くの遠くの、お日さまが作られる国へ行きたいんだ。そこで、お日さまを空に、はめこむから、明るくなるんだろ、ね。」
ヒルベルはほんものの家がほしかった。だから、洋服ダンスの中にいた。思うさま吠えて、美しい声で歌っていた。


(ペーター・ヘルトリングさんが亡くなったとのこと。懐かしい本を久しぶりに手にとりました。)