『南ポルトガルの笑う犬―アルファローバの木の下で』 青目海

南ポルトガルの笑う犬―アルファローバの木の下で

南ポルトガルの笑う犬―アルファローバの木の下で


青い空、おもちゃのような漁船が浮かぶ青い海。
太陽に照らされて輝く白い家並みの一日は、教会の鐘の音とともにはじまる。
各戸から飛び出してくる愛犬たちと近所の人びとのお決まりの挨拶。
煉瓦の魚市場・野菜市場の軒先は夥しいツバメたちの巣がつらなる。
広場のバーでは一仕事終えた漁師たちが、エスプレッソと安物のブランデーとともにゆったりと朝食をとる。


ポルトガルの小さな漁師町モンカラパーチョ。
ここは、犬たちが多い。放し飼いにされた彼らは町じゅうを自由自在に闊歩し、町の人々に愛嬌を振りまき、そこここに危険な「落とし物」を置いていく。
犬たちは、ポルトガル・ウォータードッグという犬種で、漁師たちと一緒に働いている。
指の間には水掻きがついていて、犬かきではなく優雅に平泳ぎをするというから、驚いてしまう。一度会ってみたいものである。


この本に書かれているのは、主にこの町で出会った(人間の)友人たちの物語であるけれど、
彼らの後ろには、笑顔で控えている犬の姿が見えるような気がするのだ。
著者と友人たちの縁をとりもつ、気のいい仲人のような犬の顔が。


「別に人が悪いわけではない。リゾート開発とは無縁の猟師町の人々は、外国人に慣れていないのである。善良で涙脆く、しかし、義理や人情には厚い」
というこの町の住人達は、引っ越してきた著者夫婦に、なかなか心を開いてはくれなかった。挨拶さえも返してくれないことも少なくなかった。
そうした著者と一番先に仲良くなったのが、町の犬たちだった。
知らん顔をする飼い主とは裏腹に、顔見知りになった犬たちは、「ども、ども、奥さん」と声をかけてくれたそうだ。その姿・表情が目に浮かぶようで、思わず笑顔になってしまう。
この町に住んで四年が過ぎたころ、著者は七十匹の犬と知り合いになり、翌年には、はじめてのポルトガル人の友人ができた、という。
そして、今、この町には知らない人はいない、という――


友達への形見分けの贈り物をニューズウィーク紙に包んで、部屋の隅に積み上げていたニューヨーク生まれの老女イヴリン。
夫に無一文のまま置いて行かれ、ずっと「ロンドンに帰りたい」と言っていた孤独なロージー
カフェで毎朝おしゃべりする仲間が実は夜には別の顔を持つ売春婦たちだった、という話。
素朴な漁師町には、驚くような出会いが沢山。でも、いちばん大切なのは、彼らがくるりと後ろを向いた時に見せる「いろんなことを背負ってきた」背中についての話なのだ。
「お互いに実に様々な人生の困難に遭遇し、それと格闘してきた。いまだになにひとつ解決はついていない。そんな風にして、これからも生きていくのだろう」と著者は書く。


イタリア生まれの漁師の夫と共に、世界じゅう様々な町で暮らし、今、南ポルトガルの漁師町で60歳を迎える著者自身が、この本一冊では語れない、やりきれない場面を数限りなく過ごしてきたのだろう。だから、知り合った人々が抱え込んだ目に見えないものに共感する。その孤独の深さを推し量る。
そのうえで、彼女は言うのだ。
「とにもかくにも、私は幸せにならなくてはならない。ここで幸せにならなければならない。以来、どんなに小さな幸せも見逃すまいと、目を凝らして生きてきたような気がする」
「幸せ」という言葉が、特別な響きを持った特別な言葉みたいに感じた。