『少し湿った場所』 稲葉真弓

少し湿った場所

少し湿った場所


人の暮らしも、町も、明るく清潔、機能的で便利になってくると、ことさらに、ざらついた場所、薄暗い場所が恋しくなる。
薄暗い場所は、この本のタイトル『少し湿った場所』でもある。著者の愛する場所。


著者は幼いころ、本を読むための秘密の場所をもっていたそうだ。
特別に自分に与えられた場所ではなくて、ここが私の「書斎」、と決めた場所は、閉めきりの離れ。家人がまず出入りすることのない、誰にも邪魔をされない場所だった。

>机は木のリンゴ箱。部屋の片隅にあった黒いうるし塗の古タンスにノートや筆記具を入れて、私は小さな窓から下の竹林を飽かず眺めノートにうわごとのような言葉を記したものだ。
薄暗さ、ほこりのにおい、少しじめっとした空気さえ、心地よく感じる。清潔でもなく明るくないその場所は、なんだか懐かしい気がする。
(わたしも、子どもの頃、秘密の「書斎」をもっていたじゃないか。誰にも邪魔されない、お気に入りの隅っこを。そういう記憶が懐かしく蘇る)


「川」について語る文章も、心に残るものが多い。
その時期その時期で、景色は変わるけれど、川そのものが消えることはないのだな、と思いながら、川の流れに、女系家族だという著者の家族史が重なってくるのを感じている。


著者の幼い日の「書斎」と、
川、ことに、親族の思い出に繋がる故郷の木曽川の光景とが、著者の愛する「薄暗い場所」の原風景になっているような気がする。


東京の川は、暗渠となり、地上から姿を消していったそうだ。
そのうちのひとつ、渋谷川を見る機会を得た著者は、暗渠に潜る。
昔から流れていた川と、人工の川とが同じ地底で音を響かせる「常闇」を形作っている、という。
けれども、それは、さらに奥深くへ行く流れの途上であり、そのイメージは温かくて豊かだと感じたそうだ。


また、離婚後の生活について語っているところ。
その暮らしは「貧しく不自由ではあっても、別の豊かさを孕んでいた」と著者は述懐する。


東京の暗渠の常闇も、離婚後の生活も、著者の愛する薄暗がりに通じている、と感じる。
薄暗さには、煌々と明るい場所にはない、薄暗さ故の豊かさがひっそりと息づいている。
そして、思う。薄暗い、ということは、真っ暗ではない、ということ。
おそらく、これらの薄闇が、真の闇の中に置かれたなら、ぼうっと明るく浮かび上がるのではないだろうか。