『ママ・アイ ラブ ユー』 ウィリアム・サローヤン


「あたし」は、新しい仕事を求めるママについて、ニューヨークへやってきた。ママ(ママ・ガール)は、(あまり仕事のない)女優なのだ。
でも、まず仕事を得たのは、将来の大女優のママではなくて、娘の「あたし」のほうだった。
気分屋で子どもみたいなママと、しっかり者の娘。母子というより、親友同士のような二人は、ともに舞台に立つことになったのだ。


「あたし」のなかにも、そして、ママのなかにも、小さな少女がいるようだ。
ふたりの胸の内で、妖精じみた少女がくるくると踊っているようだ。

「あたし、動物にでも誰にでも、どんなものにでもなったふりをするの。そうね、光ってる星を見たら、星になるし。ずーっと遠くにいるつもりになって、星みたいに光ってるふりをするの」
「少女は躍りが好きだ。少女が想像するあらゆることは、ふと踊りのように起こってくる。しゃべるのも踊りと同じだ。しかしバレエじゃなくて子どもの踊りなんです。はだしで……すばやく静かに動く」


子どもっぽいママと、離れて暮らしているパパ。
何だか頼りない親たちだなあ、と思わなくもないけれど、それ以上に、二人にとって、この少女がどんなに愛おしい存在であるか、それは、彼女につけられたたくさんの愛称が語っている。
ママは呼ぶ。「蛙ちゃん」「キリギリスちゃん」「たんぽぽちゃん」
パパは呼ぶ。「キラキラヒメ」
どんな顔して、どんな気持ちで、娘にこんなふうに呼びかけるだろう。想像すると、ふわっと優しい気持ちになってくる。


楽し気に物語は進むけれど、楽し気なのは、楽しいこととは違う、と「あたし」は思う。
「あたし」には、ママをはじめとして、周囲の大人たちが、本当はしあわせではないことが見えてしまっているから。
そして、しあわせではないのは、大人になりきっていないからだ、と感じているのだ。
手を取り合って成長してきたママと「あたし」。やがて、手を放す時がやってくる。
それはきっと寂しいことではない。少女は訊く。「人生ってなあに?」
物語にさっくりと混ざった少しビターな味わいが、余韻となる。