『海炭市叙景』 佐藤泰志

海炭市叙景 (小学館文庫)

海炭市叙景 (小学館文庫)


海炭市という架空の地方都市に住む(あるいは一時的に立ち寄った)人々を素描風に描いた短編集。
架空の都市とはいえ、ここは、作者の故郷である函館のことなのだそうだ。


イメージは、冬の曇天。
ある主人公はいう。「わたしはこの街が本当はただの瓦礫のように感じた」(『まだ若い廃墟』)
また、ある主人公はいう。「三十にならない前に、自分の人生が見えてしまって・・・」(『大事なこと』)
そして、ある人はこういう。「何かがほんの少しずつ狂いはじめているのだ」(『黒い森』)


ただもくもくと暮らしているさまざまな人々の、本当にさまざまな暮らしであるけれど、閉塞感が漂う。
先行きに、明るいものは見えない。
それでも、生きていくしかないじゃないか。昨日と同じように、今日も。ほかに何ができるだろうか。


そうした人々を眺めつつ、これは、やりきれない気持ちとは少し違う、と思っている。
曇天の空の色は、晴天よりずっと多彩ではないだろうか。わたしは、遥かに繊細なグラデーションを見せられているのではないだろうか。
そうして、この群像たちの閉塞感は、思いがけない道を通ってユーモアに通じているのかもしれない、と感じる。
小さな何か(とても希望とはいえないが、それだからよけいに心に残るもの)が灯るような気がするのだ。
たとえば、『まだ若い廃墟』の六時間…六時間でも六分でも、あるいは零分であっても、何も変わらなかったはずの、その六時間は、大切な猶予の時間であったはずだ。
私もまた、そうした「六時間」をずっと生きているのかもしれない、とふと思う。
それから、『衛生的生活』の啓介の、自分には見えていない自身の姿は、となりの席の青山が描写した通りなのだろう、と思う。確かにそうなのだろう。
けれども、それはほんの一部でしかないはずだ。啓介のモネやゴロワーズは、青山が見ることのない(その必要も感じないだろう)別の光りかたをして、わたしの胸に染みる。


海炭市からずっと離れた小さな町で、わたしも同じように暮らしている。海炭市には、わたしによく似た人が暮らしている。