『世界を7で数えたら』 ホリー・ゴールドバーグ・スローン

世界を7で数えたら (SUPER!YA)

世界を7で数えたら (SUPER!YA)


ウィロー・チャンスは12歳。愛情をかけて育ててくれたパパとママを事故でなくして、ひとりぼっちになってしまった。
少女の再生の物語であるけれど、短い間(彼女の新しい家と里親が見つかるまで)彼女を保護し支えてきた人々の再生の物語でもある、と思う。
なんのこともなく社会に順応し、なんとかやっているつもりの人たちの見えないところには、なんと、いろいろなものがしまいこまれていたことだろう。


そもそも、ウィローという子は、様々な点で突出している。それは一目見ただけで、優れている(それも格段に!)驚くような点が多々ある反面、彼女の「こだわり」がとても気になる。
けれども、物語は、彼女をどんな種類のカテゴリーにも仕分けしない。
分類し、仕分けしようとしている人々もでてくる。その代表的人物がスクールカウンセラーのデルで、彼は、その分類が、ある種の偏見に基づいているものであることに気が付いていない。
後になってみれば、わたしもまた、デルを「そういう人」という思いこみで眺めていたことに気が付くのだけれど。


人が出会い、人が集まる。チームになる。
ひとのいるところ、否応なしに思いこみは存在するが、近づけば近づくほどに、互いに様々な面があることに気がつくし、それは、時とともに、どんどん変容していく。
その面白さに、わくわくしてしまう。


打ちひしがれ、生きようという意欲も失ってしまったウィローだったけれど、彼女は蘇る。
物語をふりかえったとき、思い浮かぶのは小さなドングリ。
ウィローは言う、「ドングリはつまるところ種だ。種は定義すれば、なにかの始まりということになる」
この小さな種のなかに、大きな命の源が眠っている。
少しの助け(条件)があれば、発芽し、大きな樹に育ち、たくさんのドングリをつける。


狭い町の中、互いに顔を合わせたとしても、それ以上知ろうと思わず、しらせようとも思わずにバラバラに暮らしていた人々。
彼らのなかにある、固い殻を持つ種子が、芽を出し、育っていく。出会うことが発芽の条件であったみたいに。
うれしいのは、いつまでもずっとかたいままだと思っていた種が、ある日ふいに芽を出しているのを発見した瞬間。


遠い日、まだパパとママと一緒に暮らしていた頃、ウィローは、巣から押しだされてしまった小鳥のヒナを助け、やがてまた群れに戻れるようにしてやったことがあった。
ことりの巣立ちを見送りながら、ウィローは思ったのだった。
「満ち足りた気持ちとつらい気持ちはセットになることがあるのだ。あたしはそれを学んだ」
いま、わたしは、この言葉を反芻する。新たな人生を踏み出そうとする少女と、彼女の友人たちを見送りながら。