『ピーター・パン』 ジェームズ・M・バリ

ピーター・パン (岩波少年文庫)

ピーター・パン (岩波少年文庫)


ピーター・パンのことなら、知っている。
どうやってダーリング家の三人の子どもウェンディとジョンとマイケルがピーターと出会ったのかも、
どうやってピーターといっしょに「おとぎの島」(ネバーランド)に飛んで行ったのかも、
木の下の家やインディアン、海賊船やフック船長のことも、
それからフック船長を狙うワニが、なぜチクタクと音をたてているかも、
ピーターとフック船長とが因縁の決着をどうしてあの日にあの場所でつけることになったのかも、
よくよく、よーく知っている。
わたし、そう思っていました。・・・ほんとうに?


たとえば、ダーリング家のお母さんがどんな人か、覚えていただろうか。
おかあさんの心のなかには、「ちょうど、なぞめいた東洋の国から来た、小さな入れ子の箱」があることや、その口元の、右の隅っこには小さなキスが浮かんでいること。
たとえば、ダーリング家の子どもたちの心のなかには、誰に教わったわけでもないのに、ずっと「おとぎの島」(ネバーランド)の地図があったことや、
ピーター・パンに出会う前から、ずっとその名前を知っていたことは・・・?
それから、ツバメが家の軒に巣を作る理由は? それは、家の中のお母さんが子どもたちに語って聞かせるおはなしを、窓の外で聞くためだったのだけれど。
また、ピーター・パンがいないときにオオカミに出会ってしまったときはどうする? 「またの間からオオカミを見る」のがよいのだ。


知っているつもりでいた物語のあちこちには、こんなにたくさんの小さな宝物がちりばめられていたのだ。
わたしはすっかり忘れていた。
ちょうどこの物語の終わりの方で、大人になってしまったウェンディの前に、昔のままの姿のピーター・パンが現れたときのように、
わたしもこの本を読むことで、古い古い友達に出会いなおした気持ちでいる。そして、なんてたくさんのことを忘れてきたのだろう、と驚いているところ。
夜、開いたままになっている窓をみつけたら、その窓の向こうには、子どもたちが飛んでもどってくるのを待っているおとうさんとおかあさんがいるのかもしれない。